à la lettre

ラカン派精神分析・精神病理学に関するいろいろ

ラカン

エルンスト・クリスの症例とラカンのアクティング・アウト論(2)

エルンスト・クリスの症例 エルンスト・クリスの論文「自我心理学と精神分析療法における解釈」の第二章「例証[Illustrations]」に移ろう。 ここでクリスは先に見た「深層の分析(エス分析)」と「表面の分析(防衛の分析)」の違いと、そこからえられる臨床…

エルンスト・クリスの症例とラカンのアクティング・アウト論(1)

何回かに分けて、クリスの「自我心理学と精神分析療法における解釈」と、それに対する「幻想の論理」のセミネールでのラカンの反論(1967/3/8)までを読んでいきます。 エルンスト・クリスの「表面[surface]の分析」 ラカンの精神分析理論は、当時主流となって…

「神経性食思不振症」についてのインデックス

神経性食思不振症[anorexie mentale, anorexia nervosa]とは、いわゆる拒食症のことである。この疾患の一般的概念については、Wikipediaなど参照のこと。 『エクリ』 E600-601「治療の指導」 エルンスト・クリスの「脳みそを食べる男」症例*1についてのコメ…

「ねずみ男」についてのインデックス

※セミネール邦訳分まで作成 1953年の論文「神経症者の個人的神話[Le Mythe individuel du nevrose ou poesie et verite dans la nevrose]」には、ねずみ男の分析と、「父の名」についての言及が見られる。このテクストはここ(Word文書)とここ(HTML文書)で見…

「狼男」についてのインデックス

※邦訳11巻まで完了1952-1953年にかけて、ラカンは「狼男」についてのセミネールを行っている(未刊行) このセミネールのTranscriptionはここにある。ローマ講演での歴史-再認概念などが既に見られることなど、注目に値する。 『エクリ』 E256「ローマ講演」…

フロイト的領野のR.S.I.

現実的なもののこの穴は、それを考察する仕方に従って存在と呼ばれたり無と呼ばれたりします。この存在や無は、パロールという現象と本質的に結びついています。象徴的なもの、想像的なもの、現実的なものという三分割、つまりそれらがなければ分析経験にお…

ダムレット/ピション『語から思考へ』紹介

某所で貴重な本をお借りすることができたので、紹介します。 ラカンが引用している文献で、ややマニアックなものとしてジャック・ダムレットとエドゥアール・ピションの『語から思考へ[Des mot a la pensee]』というものがある。ピションは国家主義的な傾向…

症例ドラについてのインデックス

1951-1952年にかけて、ラカンは「ドラ」についてのセミネールを行っている(未刊行)。 これをもとにしたのが「転移に関する発言」であると思われる。 『エクリ』 E215-226 「転移に関する発言」:ドラ論 E290「ローマ講演」 象徴的解釈とドラ、鼠男、狼男 E…

「ファルスの意味作用」のためのノート

掲示板「エクリを読む」で進行中の「ファルスの意味作用」の読解のための個人的なメモを公開します。 随時更新。 何が問題となっているのか 「父とは何か」という難問 母親がある子供の母親であるということは(直接産むため)疑いの余地がないが、父親があ…

ネット上で見られるJacques-Alain Millerの文献(英語)のまとめ

lacan dot.comのBibliographyを参考に、全文が閲覧できるものだけをピックアップする。 (随時更新) 1965 Suture (Elements of the Logic of the Signifier), Screen 18.4 (Winter 1977-78): pp. 24-34. 1965/2/24のセミネールで発表された、シニフィアンの…

エクリからのメモ:Thomas S. Szasz

注1 Thomas S. Szaszは"Psycho-Analytic Training—A Socio-Psychological Analysis of its History and Present Status," IJP XXXIX(1958):598-613において、目的としての力は分析の教育を貶める要素の一つであると指摘している。 これと同じ目的の治療の方…

ミレール「ラカンの臨床的観点への序論」を読む(後)

前回は、 分析の診断は症状ではなく、構造によってなされる。その構造とは否定の3モードである抑圧、排除、否認であり、それぞれ神経症、精神病、倒錯の基本的構造である。 ラカン理論は、フロイトの精神分析理論を構造化したものと、古典的ドイツフランス精…

ミレール「ラカンの臨床的観点への序論」を読む(前)

全2回構成でお送りします。読むテキストは、 Jacques-Alain Miller, An Introduction To Lacan's Clinical Perspectives, in Reading Seminars I and II: Lacan's Return to Freud (Suny Series in Psychoanalysis and Culture)作者: Bruce Fink,Maire Jaanu…

シェーマLのトランプゲーム(2)

自我心理学における想像的関係の分析には、第三項が抜けていること、さらにはもう一つの第四項も抜けていることをラカンは指摘していた。そこで、「コントラクト・ブリッジ(あるいは、ばば抜き)」というトランプゲームの比喩を使って、「正当なる」分析状…

シェーマLのトランプゲーム(1)

ラカンの図式の中でも、特にシェーマLは数多くの文献によって紹介・説明されている。その大体が、前々回に示した第二セミネールにおける説明を流用してなされている(例えば、福原泰平『ラカン――鏡像段階』など)。しかし、ラカン自身はシェーマLを、特に…

ナシュトの「分析家の存在」論

少し話を戻そう。 ラカンが「治療の指導とその能力の諸原則」のなかで批判しようとしているのは、自我心理学の理論であり、とりわけ、この論文をラカンに書かせるにいたった「現代の精神分析 La psychanalyse d'aujourd'hui(P.D.A.)」であった。ラカンは、自…

分析の四者関係論=シェーマL

患者と分析家の二者の想像的関係に基づく自我心理学の技法に対して、ラカンは分析状況は四者関係である、ということを指摘し、その理解のためにシェーマLを導入する(S2-Jb117)。まず、Sとaであるが、これは主体と自我である。日常語において使う「私」と…

「治療の指導とその能力の諸原則」(1)

第一、第二セミネールと「ローマ公演」〜「治療の指導とその能力の諸原則」の時期には、自我心理学批判が集中的に行われているが、その要点は、 分析は二者関係(想像的関係)に陥ってはならない 分析の目的は「患者の分析家への同一化」ではない(分析は患…

自我心理学批判

ここでのラカンの自我心理学批判は、「二体心理学」(S1上, p.17,p.55)、「マーガレット・リトルの逆転移論」(ibid., pp.51-55)の二つに向けてのものである。ラカンは、分析という状況において、分析家と患者(分析主体)のとる関係を考察することによって「…

「抵抗の瞬間」の4つのテーマ

『フロイトの技法論』の第一部、冒頭の「抵抗の瞬間」と題されたセクションの特殊な読みにくさは、4つの議論の線が錯綜していることによる。 ここでは以下のようなテーマが扱われているのである。 1、自我心理学批判 2、分析における構成の問題 3、抵抗…

分析における構成の仕事

この文脈で、分析における「解釈」「構成」を語ればどうなるだろうか。 解釈によって、性的虐待の主題が再構成されることをフロイトは発見した。最初は、フロイトは「ヒステリーの原因は幼児期の性的暴力のもたらした外傷である」という学説を発表するにいた…

ブルース・フィンクによる「抑圧」の解説

無意識についてまず第一に言うべきことは……、フロイトが言っているように、無意識は思考によって構成されているということだ。 ――ラカン,Scilicet 1(1968):35 抑圧において本質的なことは……、抑圧されるのは情動ではなく、情動は移動させられて誤認されうる…