à la lettre

ラカン派精神分析・精神病理学に関するいろいろ

「治療の指導とその能力の諸原則」(1)

第一、第二セミネールと「ローマ公演」〜「治療の指導とその能力の諸原則」の時期には、自我心理学批判が集中的に行われているが、その要点は、

  • 分析は二者関係(想像的関係)に陥ってはならない
  • 分析の目的は「患者の分析家への同一化」ではない(分析は患者の弱い自我を分析によって訓育することではない)
  • 転移を解釈してはいけない
  • 「空虚なパロール」で語られる想像的な転移ではなく、「充溢したパロール」で語る象徴的な転移の状況によって、本来の分析が可能になる

ということであると思われる。

上に挙げたセミネールや論文の中でも「治療の指導とその能力の諸原則」は、自我心理学との戦いという意味が最も大きい論文である。ラカンがこの論文を書くきっかけになったのは、フランスで出版された『現代の精神分析 La psychanalyse d'aujourd'hui』という論集である(E643にそのことを示す強烈な皮肉がある)。この論集を見たラカンは、当時行っていた『対象関係』のセミネールの冒頭で皮肉たっぷりにコメントしている。この論集には、当時のフランスの精神分析界の錚々たるメンバーが執筆していたそうである(序文がアーネスト・ジョーンズ、編集がナシュト、ということらしい)。

ラカンの皮肉はこの論文の冒頭から手厳しい。

分析が分析主体のパーソナリティによって運命付けられているということは、〔自我心理学においては〕当たり前のこととされている。しかし、分析家の方のパーソナリティも様々な影響を与えるということについて関心を示すということは、厚かましさのあらわれである。このことは、少なくとも、逆転移について現在一般的に考えられている見解――逆転移という概念の不適切性を隠蔽する役割しか果たしていない見解――を聞いて、私たちがかすかに身震いしてしまうことを説明してくれるだろう。〜
しかし人々が、精神分析という名の下に「患者の情動の再教育」に献身しようとしている今日では、本来それを聞いてもらいたい人々〔=自我心理学者〕にとっては、これくらいの言葉では全く十分でない。

(Lacan, E585)筆者訳

※以降、エクリはEに続けて頁数、セミネールは「S1, p.70」のようにSに続けて巻号数を示し、その後に頁数を示します。セミネールは邦訳のあるものは邦訳の頁数を、それ以外は原書の頁数になります。

これはまさに「二体心理学」批判である。分析主体のパーソナリティと分析家のパーソナリティ、つまり分析主体の自我と分析家の自我が一対一で語る想像的な関係に対する批判である。自我心理学においては、「精神分析は二人の人間の状況として研究されなければならない(E588)」という風に考えられている。そして、「〔分析家の強い〕<自我>によって〔患者の〕いわゆる弱い<自我>を訓育する(E588)」のである。