ラカンが『エクリ』のなかで自分の1930-40年代の仕事を振り返っている1966年に書かれたテクストの全訳です。
我々の前歴について(De nos antécédents)
Écrits, pp. 65-72.
[E65]
いま、過去を振り返り、我々が精神分析に入門した際の仕事を提示するにあたり、その入門がどこからなされたのかを思い起こすことにしよう。
医師および精神科医として、我々は「パラノイア性認識」の名の下に、ある臨床上の徹底的な調査の方法——我々の医学博士論文はその試みである——から得られたいくつかの帰結を導入した*1。
それらの発表や、さらにはシュルレアリスムの環境——古いつながりを新たな中継点、すなわちダリ、クレーヴェル、「パラノイア・クリティック」、そして「ディドロのクラヴサン」へと結び直してくれた(その後裔は『ミノトール』誌*2の最初の数号に見出される)——における反響をいたく歓迎してくれたグループ(『精神医学の進化』)について思い起こすよりも、我々はこの関心の起源に焦点をあてることにしよう。
彼〔=クレランボー〕の精神自動症は、そのメタファーにおいて機械論的なイデオロギーを伴っているがゆえに、たしかに大いに批判の余地があるのだが、しかし主体のテクストを把握することにかけては、フランス精神医学におけるいかなる臨床的努力よりも、構造分析から構築されうるものにより近いように我々には思われる。
そこにおいて我々は、つねにますます推論的な前提に傾いていく症候学において衰えつつあるものに対して、それ〔=クレランボーのアプローチ〕が生み出すコントラストから感じ取られる、ある見込みの手触りに敏感であった。
*1:『人格との関係からみたパラノイア性精神病』、ル・フランソワ書店、1932年。本書は30症例の観察に基づくものだが、その方法ゆえに「症例エメ」という一つのモノグラフィーを課されたものである。この事実は、536ページに見出されるであろう、ある傑出した学者からの好意的な評価の直接の動機となっている。
*2:「文体の問題」「パラノイア性犯罪の動機」。後者の論文はパパン姉妹を扱うものであり、この主題は最近その時代の証人によって再び取り上げられた際には忘れられていた。 それ〔=この関心の起源〕はクレランボー——我々の精神医学における唯一の師——の痕跡のうちにある。

