※邦訳11巻まで完了
1952-1953年にかけて、ラカンは「狼男」についてのセミネールを行っている(未刊行)
このセミネールのTranscriptionはここにある。ローマ講演での歴史-再認概念などが既に見られることなど、注目に値する。
『エクリ』
E256「ローマ講演」
狼男の事後性 原光景の日付を定めること
E290「ローマ講演」
象徴的解釈とドラ、鼠男、狼男
E301「ローマ講演」
狼男のWespe S.P.
E311-312「ローマ講演」
狼男の分析の期限を決めたこと 分析における時間の機能 終りある分析と終りなき分析
E385-393「イポリットの否定への返答」
フロイト「否定」から排除の発見、そして狼男
E664-65「ダニエル・ラガーシュ」
虚辞のne 狼男のエスペ シニフィアンの省略
他、E404「フロイト的もの」
S1『フロイトの技法論』
S1-Ja20/Fr19
主体がその過去について再構成したものはいかなる価値を持つのか
S1-Ja58/Fr45
外傷の日時を特定すること
S1-Ja72-75/Fr53-55
去勢コンプレックス 排除の発見
S1-Ja97/Fr69-70
排除と幻覚
S1-Ja110/Fr80
現実界は象徴化に対抗する
S1-Ja258/Fr181
狼男の抑圧は固着のずっと後で起きている
S1-Jb47-58/Fr213-219
狼男は性格神経症、自己愛神経症 歴史の再構成 事後性 Wo Es war OとO'の治療論
S1-Jb204/Fr314
狼男の時間性 《理解するための時間》と徹底操作 徹底操作はディスクールの次元に属するもの
S2『自我』
S2-Ja103/Fr81
主体による経験の無限の再現がなぜ主体満足させるのか 「そのことは何年か前に『狼男』に関して既に説明しました」
S2-Jb4-5/Fr207-209
狼男の分析は終わりなき分析の兆しを見せていた
原光景の再構成
狼のまなざしのなかにフロイトが見ているのは、光景を目の当たりにした幼児の、魅惑されたまなざしの等価物
この夢のあとで分析が開始された
S2-Jb73/Fr253
「お漏らしは、面目を失うということであれ、性愛的情動に結びついたことであれ――例えばこの点については『狼男』を読み直してください――一つの記号として解釈されたのです」
歴史的価値、象徴的価値
S2-Jb89/Fr264
夢の欲望も症状の欲望も性的な欲望である
ユング批判
主体の過去の視点は幻想にすぎない
S2-Jb146/Fr302
「我々がすでに『狼男』に基づいて見ることができたのは、私が「父の名」と呼ぶところの象徴的父と、そして想像的父、つまり哀れな男とはいえすべての人々同様あらゆる厚みを備えた者である現実の父というライバル、この二つを区別するということです」
S3『精神病』
S3-Ja19/Fr21
排除=象徴的次元で拒否されたものが、現実界に再び現われる
狼男は去勢を引き受けることが出来なかった
ナイフで指を切り落とす幻覚
S3-Ja74/Fr57
狼男の潜在的なパラノイア性 排除
S3-Ja140/Fr98
「自我が内包している基本的な疎外に由来するすべてのものを伴った装置によって、患者が導かれる先のものとは異なるものが、現実界にあらわれるのです」
狼男の小幻覚
S3-Ja261/Fr177
記憶や歴史化ということが機能しうるためには、先行するランガージュの組織化を仮定しなければならない
何かが意味をもつためには、シニフィアンが先になくてはいけない
「狼男」では、最初の原初的な光景は、言うべき言葉を持っていないときからシニフィアンであった
人間の歴史化
S3-Jb18/Fr190
ハスラーの症例で、同性愛的傾向について患者に解釈を示したが、反応がなかった
これは、フロイトが狼男の症例においてぶつかったのと同じ壁である
S4『対象関係』
S4-Jb5/Fr201
「我々は、葛藤の中での父の影響は、象徴的父、想像的父、現実的父という三つに分けてとらえるべきだということを学んできました。そして、特に、その年の後半の狼男についての検討を通して、この本質的区別なしには、この症例を考える方向性を見いだすことすらできないということを学びました」
S4-Jb62/Fr243
母子関係 「まさにここに、原初的受動態化[passivation primordiale]が挿入されることがおわかりでないのなら、あの狼男の観察記録について何も理解することはできません」
S4-Jb91/Fr265
狼男とハンスの類似点 恐怖症の像がイメージと結ばれる経路
「狼男においては、恐怖症の対象はおそらく端的にイメージですが、それは絵本のイメージであり、絵本から抜け出した狼です。こうしたイメージはハンスにおいても見られます。(……)」
S5『無意識の形成物』
S5-Ja347/Fr237
フロイトの独創性は、正確さ、執拗さ、還元不可能と思われたさまざまな斂汗が実際に切り離されるまで行われる素材の操作である
狼男症例においてフロイトは患者の歴史の始原的な連鎖における、象徴的な起源と、現実的な起源を厳密に研究することにたえず立ち返っている
これはエディプスの三つの時間[temps]の区別と同じである。
(メモ)※歴史、時間、エディプスが並べられていることから、この箇所に現実界、想像界、象徴界という三つ組みをあてはめることも可能だろう。時間に関しては論理的時間の3段階、歴史はローマ講演の治療指針、エディプスは子どもが叩かれるの3段階である。
S5-Jb189/Fr376
「フロイトは、「狼男」の症例を書いているとき、この文句――「それはもう手に入りません」――のことを思い起こしています。これは、彼が久しく以前から、幼児健忘以前の、主体の生活における前-健忘的なものを再構成する際の困難に興味を持っていたことの証拠としてでした」
S5-Jb379/Fr503
「フロイトは、鼠男であれ狼男であれ、キリスト教のもとで育った強迫症者と出会うたびに、彼らのたどる変遷及び彼らが持っているエコノミーの両面において、キリスト教が持つ重要性を十分に明らかにしてきました」
S11『精神分析の四基本概念』
S11-J53/Fr41
「『狼男』の例を見てみましょう。フロイトの著作の中でこの症例報告が例外的に重要なのは、幻想の次元が機能するのは現実界との関係においてである、ということを示しているからです。現実界が幻想を支え、幻想が現実界を保護します」
S11-J93/Fr67
「我われの地平は性との根本的関係の中で出現する人工的なものです。原光景がいかに外傷的であるとしても、分析可能なものとの変調を支えているのは性的共感ではなく、人工的なものである、ということから出発することが分析経験においては重要です。それは、『狼男』の分析でフロイトがあれほどまでに厳しく追及した例の光景で現れてきたもの、つまりペニスの消失と再出現の奇妙さと同じく人工的なものです」
S11-J119/Fr84
メルロ=ポンティが著作の第二部で『狼男』と手袋の指のことを述べている。
S11-J256/Fr175
フロイトは、性的差異において探索できないままに残っているものを名づけ、比較的に言い表すために、能動性―受動性の関係を使っている。
これは狼男や五大症例に見られる。
S11-J339-340/Fr226-227
原初的に抑圧されたシニフィアンとして機能する何か還元不能なもの、「無意味なもの」への集約
狼男の夢の、窓が急に開いて狼が現われるところが「s」の機能、すなわち主体の喪失
狼の眼差しは狼男自身の眼差し
<他者>の欲望によって構成されるものとしての主体の欲望の弁証法 この弁証法によってシニフィエが形成される
原初的なシニフィアンは純粋に無意味であり主体の無限化を担う
しかし、その無限化とはいかなる意味にも開かれておらず、全ての値を無にする
「自由という機能を主体の根源的な意味と無意味の中で実際に成立させるもの、それはまさにすべての意味を殺してしまうこのシニフィアンです」