付録:私たちの研究活動の概況(1933年)
ラカンが自身の初期の研究活動と学位論文『人格との関係からみたパラノイア性精神病』の概要について要約的に記した文章の全訳です。原文は、Lacan, J. Exposé général de nos travaux scientifiques. In De la psychose paranoïaque dans ses rapport avec la personnalité. suivi de Premiers écrits sur la paranoïa. Seuil, 1975, pp. 399-406.
付録:私たちの研究活動の概況(1933年)
[399]私たちの初期の研究については詳細な分析は行わない。お分かりのように、それらのいくらかは純粋に神経学的なものである(発表1、3、7)。ヒステリーの問題に対する私たちのささやかな貢献(発表2および3)は、現在の研究への過渡的なものだが、まったく精神医学的なものである。当初私たちは、師〔=指導教員であったアンリ・クロード〕が与えてくれた方向性に従い、いくつかの心的な症候群における器質的な条件を明らかにすることに重きをおいていた(発表4、6、10、11、13)。
私たちは内勤医の最終年度の終わりまで待ってようやく、主要な研究である学位論文のなかで、内勤医時代の年月のなかで病態心理学の問題が我々にとってますます重要になってきたことを明確に表明することができた。
精神医学という科学の進展は「心的構造」(この用語は原著論文1で初めて用い始めた)の徹底的な研究なしに済ますことはできない、と私たちは考える。この「心的構造」は、さまざまなな臨床症候群の経過中にあらわれるものであり、それを現象学的に分析すること(原著論文4を参照せよ)は、疾患の「自然分類」、重要な予後指標の明確な情報源、そしてしばしば有益な治療上の示唆にとって不可欠である。
私たちがこのような見解に至ったのは、妄想(発表8)、特に妄想患者に観察される言語の障害(発表9)についての最初の諸研究によってであった。このテーマにおける先人たちの研究は、私たちに、妄想性の言語の書かれた表現の分析に言語学の手法を持ち込むことを促した(原著論文2参照)。
[400]このような研究によって私たちが確信したのは、人格全体の機能から不可逆的に独立した形で生じているような陽性的な精神現象(すなわち、何らかの内容を含むもの)を把握することは不可能である、ということである。端的に言えば、いかなる精神現象も純粋に自動的に生じたものではないのだ。自動的に生じているように見える現象は、非常に低次で損傷された心的活動状態に結びついている。常に「個人的な意味作用」*1を帯びているところの現象——精神病理(厳密な意味における精神病)の最も高い形態の独自性を生み出す現象——をそのような自動的現象と同列に論じることは到底できない*2。
こうして私たちは、パラノイア性精神病を人格との関係において研究するに至った。私たちはこの〔人格という〕用語によって、人間という動物を独自なものにしている特別な機能的関係の、さらに人間という動物を(生の環境において人間的環境、すなわち社会がもつところの)圧倒的な影響力に適応させる特別な機能的関係の総体を定義している(私たちの著作の第1部第2章*3)。
私たちが示したのは、古典的疾患分類学の進展によって定義されたところのパラノイア精神病は、人格の反応的な様態としてしか考えられないということである。言い換えれば、非常に高度なその人間的な意味作用によってしか定義できないような生の特定の状況に対する高度に組織化された様態として、すなわち多くの場合においては道徳意識の葛藤として、ということである。
私たちは、この精神病が「反応」的に発生していることを強調する。これは、いわゆるパラノイア性の「体質」を提唱する理論家たちだけでなく、妄想的確信の「中核」として「精神自動症」の現象があるという考えの支持者たちとも、私たちを対立させる点である。もっとも、私たちはこのテーマに関して刊行されたフランスと諸外国の仕事のきわめて帽体な文献学的・批判的分析を行うなかで、この両者を綿密に研究しなかったわけではなく、特にフランスで最も最近刊行され、かつ最も通俗化されていない理論(私たちの著作の第3章と第4章、57~150ページを参照せよ*4)に重きを置いた。
しかし、このように体系的に提示された両理論の歴史が私たちにもたらしてくれるのは、それぞれの相反する内容に対する最良の批判である。加えて、その歴史は私たちに、それらの理論のうちのいくつかの本当らしさを低下させる事実を報告する機会をもたらしてくれた (たとえば、精神病になる前に現れる性格の素因が極端に多様であることに関するランゲの統計など)。[401]反対に私たちは、この点において、私たちの研究にインスピレーションを与えた理論の発展を研究している。ガウプ、ブロイラー、クレッチマー、ケーラー(精神病が「反応的」に決定づけられることをますます分析することに邁進している人々)といったドイツの仕事と並んで、ピエール・ジャネ、ミニャール、プティ、ギローといったフランスの研究者たちに私たちが負っていることを示す。
私たちの研究の独創性は、可能なかぎり完全な調査にもとづいて復元された主体の具体的な歴史との関係において、典型的な妄想の心的現象を徹底的に解釈することを試みた、少なくともフランスにおける最初の研究であるという点にある(第2部、第1章および第4章*5)。
この方法によってのみ、精神病において何が反応的な人格の発展に属し、何が——ヤスパースの表現を借りれば——病的な(新たに形成された)過程として現れるのかを定義することが可能になる(第2部、第2章および第3章*6)。
このような方法は、病的現象の独自性を消失させるどころか、反対に精神病の要素現象に至るまでのものを特徴づけている異常な精神の構造を浮き彫りにすることを可能にする。かくして私たちは、周知の通り古典派が「推論の」異常*7に仕立てようとしたところの病的な解釈が、直観的、無媒介的、そして非合理的な性質をもっていることを浮き彫りにする。同様に、私たちは、古典派の理論家が説明的なものだと捉えている妄想体系のなかにも、論理の異常性を認め、その近縁性を、パラノイア性精神病のより顕著な特徴として示す。
反対に私たちは、この特定の精神構造の重要な価値を浮き彫りにし、それを妄想患者の行動それ自体において非常に後になって現れる異常な本能的衝動の表出として認識する。特に練り上げられた性質をもつ攻撃的衝動は、原始的衝動とも評することができるものであり、パラノイア患者の犯罪的な反応に非常に特殊な特徴を与えている。同性愛的な衝動は、多くの著者(ギローや精神分析家たち)によって、妄想の特定の主要現象(解釈の内容、迫害者の選択など)においてすでに認識されている。
これらは、妄想を構成する精神的な内容と行動の最も明白な意味作用をアプリオリに無視しないということ以外の、いかなる先入見ももたずに追求された、精神病に関する分析の成果である。[402]この分析は、特定の形態の精神病をより正確に——そのパラノイアとしての真正性を示しつつも、古典的な記述とはいくつかの点で異なることが明らかになるような仕方で——記述することを可能にする。すなわち、この精神病は、素地の傾向、精神衰弱的な性質、急性的な解釈という形式による突然の発症、構造は恒常的であるが進展の強度には変動があること、治癒の可能性があることなど〔が古典的な記述とは異なるのである〕。場合によっては治癒が可能であるというこの考えは、治療的カタルシスを思い描くことを可能にする。この臨床類型を、私たちは自罰パラノイアと呼ぶのであるが、それは私たちが示しているように、その病因、発病、構造、そして治癒を支配しているのが、まさに厳密に自罰的な衝動であるからである。
私たちは、この衝動に病因的な価値を与えることもできると考えている。実際、私たちの研究ではこの点において、精神病において私たちが定義した精神構造および衝動構造と、私たちのものとはまったく異なる心理学実験によって、幼児期の道徳意識の統合に対応するものとして記述することが可能になった人格の進展段階(すなわち、子どもの道徳的判断の発生に関するピアジェの研究、神経症の研究において精神分析家たちが導入した超自我の発生)とのあいだに、非常に顕著な一致が見られるのである。したがって、この段階における人格の発達停止、すなわち主体の歴史における具体的な条件によって決定づけられたその停止のなかにこそ、精神病において展開される(もちろん、獲得された)素因が見出される。
後に(一般的には成人期において)この素因が留め具を外されて始動させられる〔=発病する〕ことになるのは、ある生の状況の影響のもとにおいてであり、その状況の選択的行動は最初の病原的コンプレックスとの類似性によって定義される。類催眠状態になりうるあらゆる機会(過労、中毒および感染症のエピソード)が、(臨床的には常に突然のものである)精神病の発病のきっかけとなる役割を果たすのであり、その価値を過小評価すべきではない。
したがって、次のことが理解されるであろう。私たちの心理学的な調査方法そのものから、私たちは器質的諸要因の審級を引き出せると信じている。それらの諸要因に対して、やはりお分かりのことであろうが、私たちは精神病の発病における支配的な役割を認めているのだが、[403]ただし、これらの諸要因が精神病の形態、特定の精神的な内容、反応、あるいは永続的な発展を説明できるとは一切認めていない。
これらのパラノイア性性精神病の症候学上の詳細や反応上の特殊性の多くは、私たちの見解によって、従来の考えよりも納得のいく形で明らかにされている。ここでは、パラノイア性犯罪の極めて高い劇的な価値とその伝染的な射程、そしてそれが極めて人間的な葛藤という表現価値と結びついていることのみを指摘しておこう。パラノイア患者(J.-J. ルソー)の行動やしばしば妄想それ自体が引き起こす社会的な影響は、パラノイア性精神病者の著作に特有の価値であり——私たちは長い章をかけて主要な症例研究〔=エメ〕における非常に豊富な著作について研究したのであるが——それ自体が一つの問いを提起する。それは、精神病的な思考の伝達可能性と、人間的な表現を創造するものとしての精神病の価値である(原著論文4および5を参照せよ)。
私たちによって採用された手法は、パラノイア性精神病の研究においてその有効性を十分に汲み尽くされたようには思えず、私たちは学位論文の最終章において、この手法から非常に一般的な研究原理を導き出すことを厭わなかった。さらに、私たちがどのような方向において自らの研究を推し進めたいと考えているのかも十分明らかであろう。
私たちの望みがどのような運命を辿ろうとも、学位論文の基礎をなす臨床事例、すなわち症例エメの観察は、ある特定の形態のパラノイアの主要な症例研究としてその価値を保持しつづけるだろうことを私たちは信じている。
A. 学術団体での発表
a) 神経学会において
1. Fixité du regard par hypertonie, prédominant dans le sens vertical, avec conservation des mouvements automatico-réflexes; aspect spécial du syndrome de Parinaud par hypertonie associé à un syndrome extrapyramidal avec troubles pseudo-bulbaires. Séance du 4 novembre 1926.
- Observation princeps publiée en collaboration avec MM. Alajouanine et Delafontaine, in Revue neurologique, 1926, t. II, p. 410-418.
[404]
- Schémas originaux repris par MM. Alajouanine et Thurel, in Revue neurologique, février 1931, dans leur Révision des paralysies des mouvements associés des globes oculaires (contribution à l'étude de la dissociation des activités volontaires et réflexes) ».
2. Abasie chez une traumatisée de guerre, en collaboration avec M. Trénel, séance du 2 février 1928, in Revue neurologique, 1928, t. I, p. 233-257.
b) 精神の医学の臨床学会において
3. Syndrome comitio-parkinsonien encéphalitique en collaboration avec MM. Marchand et Courtois. Séance du 17 juin 1929, in Bulletin de la Société, p. 92-96.
4. Psychose hallucinatoire chez une parkinsonienne encéphalitique, en collaboration avec M. Courtois. Séance du 10 février 1930, in Bulletin de la Société, p. 49-12.
c) 精神医学会において
5. Paralysie générale avec syndrome d'automatisme mental, en collaboration avec M. Heuyer. Séance du 20 juin 1929, in l'Encéphale, 1929, t. II, p. 802-803.
6. Roman policier. Du délire type hallucinatoire chronique au délire d'imagination, en collaboration avec MM. Lévy-Valensi et Migault. Séance du 30 avril 1928, in l'Encéphale, t. I, p. 550-551.
7. Troubles mentaux homochromes chez deux frères hérédosyphílitiques, en collaboration avec M. Schiff et Mme Schiff-Wertheimer Séance du zo novembre 1930, in l'Encéphale, 1931, t. 1, p. 151-152.
8. Paralysie générale prolongée, en collaboration avec Targorola. Séance du 19 décembre 1929, p. 83-85.
9. Crises toniques combinées de protrusion de la langue et de trismus se produisant pendant le sommeil chez une parkinsonienne post-encéphalitique. Amputation de la langue consécutive. Séance du 20 novembre 1930, in l'Encéphale, 1931, t. 1, p. 145-146.
d) 医学-心理学会において
10. Folies simultanées, en collaboration avec MM. Claude et Migault. Séance du 21 mai 1931, in Annales médico-psychologiques, 1931, t. 1, p. 483-490.
[405]
11. Troubles du langage écrit chez une paranoïaque présentant des éléments délirants du type paranoïde (schizographie), en collaboration avec MM. Lévy-Valensi et Migault. Séance du 12 novembre 1931, in Annales médico-psychologiques, t. II, p. 407-408.
12. Parkinsonisme et syndromes démentiels, en collaboration avec M. Ey. Séance du 12 novembre 1931, in Annales médico-psycholo giques, t. II, p. 418-428.
13. Spasme de torsion et troubles mentaux post-encéphalitiques, en collaboration avec MM. Claude et Migault. Séance du 19 mai 1952, in Annales médico-psychologiques, t. 1, p. 346-331.
14. Un cas de démence précocissime, en collaboration avec MM. Claude et Heuyer. Séance du 11 mai 1933, in Annales médico-psychologiques, 1933, t. 1, p. 620-624.
15. Alcoolisme subaigu à pouls normal ou ralenti. Coexistence de syndrome d'A. M., en collaboration avec M. Heuyer. Séance du 27 novembre 1933, in Annales médico-psychologiques, 1933. t. II, p. 531-346.
B. 会議の報告と議事録
16. Congrès international pour la protection de l'enfance, 1933, en collaboration avec M. Heuyer. Importance des troubles du caractère dans l'orientation professionnelle. A paraitre.
17. Compte rendu de la 84e assemblée de la Société suisse de psychiatrie tenue à Nyons-Prangins, les 7 et 8 octobre 1933, et consacré au problème des hallucinations, in l'Encéphale, novembre 1935, p. 686-695.
C. 翻訳
18. De quelques mécanismes névrotiques dans la jalousie, la paranoia et l'homosexualité de S. Freud, paru dans la Revue française de Psychanalyse, 1932, nº 3, p. 391-401.
405
[406]
D. 原著論文
1. Structure des psychoses paranoiaques, in Semaine des Hopitaux, juillet 1931, p. 437-445.
2. Écrits « inspirés: schizographie, en collaboration avec les présentateurs de la communication, in Annales médico-psychologiques, 1931, t. II, p. 308-322.
3. De la psychose paranoiaque dans ses rapports avec la personnalité, thèse de la Faculté de Paris, octobre 1932, Le François éditeur, 381 p. Mention très honorable avec proposition pour le prix de thèse. Médaille de bronze décernée par la Faculté.
4. Le problème du style et la conception onception psychiatrique des formes paranoïaques de l'expérience, in Minotaure, nº 1, 1933.
5. Motifs du crime paranoïaque, in Minotaure, nº 3, 1933.
*1:Neisserのkrankhafte Eigenbeziehung(病的な自己関係づけ)に対してラカンが与えた訳語signification personnelleであるが、ここでは人格と関連する意味の意(パラノイア的認識においては両者は区別できないのだろう)。
*2:機械論的であるかぎりでの自動症学説はラカンにとって受け入れがたいのである。
*3:章題は「心理学的人格についての批判」。
*4:章題はそれぞれ「人格発展としてのパラノイア性精神病の考想」、「パラノイア性精神病を器質的過程によって引き起こされるものとみなす考想」。前者の章ではフランス学派として体質的因子を強調するセリューとカプグラらが、ドイツ学派として反応性因子を強調するブロイラー、ガウプ、クレッチマー、ケーラーが取り上げられる。後者の章ではフランス学派として自動症学説が、ドイツ学派としてヤスパースらの精神的過程の概念が取り上げられる。
*5:章題はそれぞれ「症例エメの臨床的検索」、「エメの人格の構造の以上と発達の固着がこの精神病の一次性の原因である」。
*6:章題はそれぞれ「症例エメの精神病は器質-精神的「過程」を表しているのか」、「症例エメの精神病は生活上の葛藤や特定の情動的外傷に対する反応を表しているのか」。なお、この文からも示唆されているとおり、ラカンは症例エメを単に「人格の発展」とも「過程」とも理解していない。両者の対立を止揚するために、精神分析の概念(超自我の発生段階における発達停止)が導入されるのである。ちなみに、François Leguil がLacan avec et contre Jaspersのなかで、ラカンが後に用いた「心的因果性(causalité psychique)」という言葉をヤスパース派への「冒涜」であると言っているのは、「心的」なものとは了解されうる「人格の発展」を、「因果性」とは「過程」であるがゆえに説明されるしかないものを指す言葉であり、その対立する二つの言葉をラカンが一つにしているからである。
*7:セリューとカプグラの「folie raisonnante」のことであろう。