à la lettre

ラカン派精神分析・精神病理学に関するいろいろ

Formations, pp.174-176

某所の読書会用に作成した試訳です。何かのご参考にどうぞ。


Les formations de l'inconscient, pp.174-176


さて、父はここで現実的な対象ではありません。たとえ父が現実的な対象として、去勢を具体化するために介入しなければならないとしても同じことです。もし父が現実的な対象ではないとすれば、それは何でしょうか。

父はたんに理想的な対象であるのではありません。なぜなら、この〔理想的な対象としての父〕の側では、父は災難をおこすばかりですから。さて、それでもエディプス複合はたんに大惨事であるだけではありません。といいますのは、よく言われるようにエディプス複合は私たちの文化への関係の基盤でもあるからです。

そうすると必然的に、皆さんは私にこう言うでしょう――父、それは象徴的父であると、あなた〔ラカン〕はすでに言った*1ではないですか、と。たしかに、そう十分に言いましたので、今日繰り返す必要はないでしょう。私が今日皆さんに提供するものは、その象徴的父という観念にほんの少し正確性を与えてくれます。それは以下のようなものです――父とは隠喩である。

隠喩、それは何でしょうか? すぐにそれをお話して、それを黒板に書くことにいたしましょう。そうすることで、私たちは黒板の扱いづらい諸帰結を整理することができます。隠喩とは、すでに説明したように、別のシニフィアンの位置にやってくる一つのシニフィアン*2です。私は、これがエディプス複合における父である*3と申し上げております。何人かの方がこう聞いてびっくりなさるとしても、そうなのです。

正確に言いましょう――父とはある他のシニフィアンを置き換える一つのシニフィアンです。これが原動力、本質的な原動力であり、エディプス複合における父の介入の独特の原動力なのです。そして、皆さんが父性の諸欠乏[carences paternelles]*4を探す際に、この水準で探さないのであれば、皆さんは他のどこの場所でもそれを見つけることはできません。

エディプス複合における父の機能は象徴化において導入された最初のシニフィアン、すなわち母性的シニフィアン*5を置き換えるシニフィアンである、ということです。皆さんに一度、隠喩の公式であるとして説明した公式にしたがうなら、父は母の場所に=代わりにやってきます。Sの場所に=代わりにS'です。S'は母であり、xである何かとすでに結びついている限りでの母です。xとは母との関係におけるシニフィエです。


父   母
― ・ ―
母   x


この母は行ったり来たりする母です。母が行ったり来たりすると言えるのは、私はすでに象徴界のなかに捉えられた小さな存在であって、象徴化することを学んだからです。言い換えれば、私が母を感じようと感じなかろうと、世界はその到来とともに変化しますし、消え去ってしまうこともあるのです*6

問題はこうです――そのシニフィエとはどのようなものか? 母の望むものは何か? 私は母が望むものが私であることを望みますが、母が望んでいるものが私だけではないことは明らかです。母に影響を与えている他のものがあります。母に影響を与えているもの、これがx、シニフィエです。そして、母が行ったり来たりすることのシニフィエ、それはファルスです。

皆さんに昨年のセミネールを要約して差し上げるなら、対象関係の中心に部分対象を置くのは純粋に軽率なことであるということです。何よりもまず、子供の方が部分対象である*7からこそ、子供は母が行ったり来たりすることが何を言わんとしているかを自問するように導かれるのです。――そして、それが言わんとしていること、それはファルスです。

こどもは、多かれ少なかれうまいやり方や幸運によって非常に早期から、想像的なxが何であるかを垣間見ることができるようになります。そして、ひとたびそのことを理解したなら、自らをファルスにする[se faire phallus]ようになるのです*8。しかし、〔自らをファルスにする〕この想像的な道は正常な道ではありません。その上、この道が固着と呼ばれているものを引き起こすのは、このためなのです。さらに、この道は決して純粋なものではなく、完全に手に入るものではなく、いつもなにか近似的で底知れないもの、さらには双数的なものを残すことからも正常なものではなりません。この道は倒錯の多形性*9をなすのです。

象徴的な道とはどのようなものでしょうか? それは隠喩的な道です。私たちの今日の対談の終わり近くにさしかかっていますから、私はとりあえずシェーマを出しておいて、つづいて皆さんに説明いたします。このシェーマは私たちに案内の役目を果たしてくれるでしょう。父がシニフィアンとしての母を代理する限りにおいて、隠喩の普通の結果が生み出されることとなります。このことは黒板の公式において表現されています。


S S’    1
―・― → S(―)
S’x     s’


仲介するシニフィアン要素は落下し、Sは隠喩的な道を介して母の欲望の対象を手に入れます。そのときこの欲望の対象はファルスの形で姿を表わします。

すでに明白な形で解決を皆さんに提示したとは申し上げません。私たちがどこに向かっているのかを提示するために、私は解決をその結果において提示しています。どうやってそこに行くのか、そこに至ることがどう役に立つのか、すなわちこの解決が解決しているもののすべては、いずれ分かることでしょう。

この自然のままの断言を皆さんの手元に残しておきます――エディプスの袋小路の問題のすべては、あるシニフィアンの別のシニフィアンの代理としての父の介入を想定することによって解決されることができます。



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*1:Seminaire V, p.146. ”C'est ce que j'appelle le Nom-du-Pere, c'est-a-dire le pere symbolique.”

*2:Ecrits, p.516, 708, 890.

*3:Seminaire IV, p.379(metaphore paternelle = P).

*4:Ecrits, p.577.(精神病者は父性欠乏を反復しているという考えへの批判)
Seminaire IV, p.261, 416.(ハンスの父親と父性欠乏)
Seminaire V, p.155, 161, 167, 190.
Seminaire XXIII, 1976/2/17.(ジョイスの父性欠乏の補償)

*5:Seminaire IV, pp.67-68.(母の現前と不在が繰り返すことによって、潜在的な象徴的秩序の可能性、根源的条件がもたらされる)

*6:フロイト「快原理の彼岸」, フロイト全集17巻, pp.63-68.

*7:Seminaire IV, p.57.(「母にとって、子供は単に子供であるだけでなくファルスでもあるという事実によって、ひとつの想像的不調和がもたらされる」)
Seminaire IV, pp.70-71.(「現実的なものとしての子供は、母にとって、母の想像的欲求を象徴化する機能を果たしている」「子供は、愛されているのは自分ではなくてある種のイメージであることに気づく」)

*8:Ecrits, p.693.

*9:幼児の多形倒錯のこと。se faire phallusとetre phallusの区別はこのためか。