à la lettre

ラカン派精神分析・精神病理学に関するいろいろ

Formations, pp.158-159

某所の読書会用に作成した試訳です。何かのご参考にどうぞ。
事後に訂正と注の付けたしをしました。(4/14)


Les formations de l'inconscient, pp.158-159


Bien entendu, il y a tout un stock, tout le bagage des images. Ouvrez pour le savoir les livres de M. Jung et de son ecole, et vous verrez que des images, il y en a a n'en plus finir - ca bourgeonne et ca vegete de partout -, il y a le serpent, le dragon, les langues, l'oeil flambant, la plante verte, le pot de fleurs, la concierge. Ce sont toutes des images fondamentales, incontestablement bourrees de signification, seulement on n'a strictement rien a en faire, et si vous vous baladez a ce niveau, vous ne reussirez qu'a vous perdre avec votre lumignon dans la foret vegetante des archetypes primitifs.

もちろん、諸々のイマージュの荷物庫や蓄えがあります。このことを知るためには、ユング氏とユング学派の諸著作を開いてください。そうすれば諸々のイマージュが、尽きることがないほどたくさんあることがお分かりになるでしょう。それはいたるところに芽を出し[bourgeonne]、そしてかろうじて生息しています[vegete]。蛇、竜、舌、燃えるような眼、観葉植物、花瓶、門番などです。これらはすべて基本的なイマージュ[images fondamentales]であって、異論なくシニフィカシオンがいっぱいに詰まっています。ただし、これでは厳密にはどうすることもできませんし、もしあなたがたがこの水準であちこち見て歩くのならば、原始的な原型[archetypes primitifs]が細々と暮らしている森の中を、薄暗いランプを手に彷徨うことにしかならないでしょう。


Pour ce qui nous interesse, a savoir la dialectique intersubjective, il y a trois images selectionnees - j'articule un peu fort ma pensee - pour prendre role de guides. Ce n'est pas difficle a comprendre, puisque quelque chose est en quelque sorte tout prepare, non seulement a etre l'homologue de la base du triangle mere-pere-enfant, mais a se confondre avec - c'est le rapport du corps morcele, et du meme coup enveloppe par bon nombre de ces images dont nous parlions, avec la fonction unifiante de l'image totale du corps. Autrement dit, le rapport du moi et de l'image speculaire nous donne deja la base du triangle imaginaire, ici indique en pointilles.

私たちが興味を持っていること、つまり間主体的な弁証法のことですが、これについては選び出されたイマージュが三つ〔だけ〕あります。私は自分の考えをすこし強めにはっきりさせておきたいのですが、この三つのイマージュは、ガイドの役目を果たすために三つ選び出されたのです。これを理解するのは難しいことではありません。といいますのも、何物かがまったく準備されたようになっており、母―父―子供の三角形の底辺[base]*1の対応物[homologue]となっているだけではなく、身体の全体的イマージュの統一化の機能と混同されるようになっているからなのです。これは、寸断された身体が、すぐさま私たちが申し上げたいくつもの諸々のイマージュによって包まれてしまう[corps morcele et du meme coup enveloppe par bon nombre de ces images dont nous parlions]関係です*2。別の言い方でいえば。自我と鏡像的イマージュの関係が、すでに私たちに想像的三角形の基礎を与えてくれており、ここでそれは点線で示されています。


L'autre point, c'est la precisement que nous allons voir l'effet de la metaphore paternelle.

もう一つの点〔三角形の底辺に対応する点φ〕、まさにそこに私たちは父性隠喩の効果を見ることになるでしょう。


Cet autre point, je vous l'ai amene dans mon seminaire de l'annee derniere sur la relation d'objet, mais vous allez le voir maintenant prendre sa place dans les formations de l'inconscient. Ce point, je pense que vous l'avez reconnu du seul fait de le voir ici en tiers avec la mere et l'enfant. Vous le voyez ici dans une autre relation, que je ne vous ai pas du tout masquee l'annee derniere, puisque nous avons termine sur la relation avec le Nom-du-Pere de ce qui avait fait surgir le fantasme du petit cheval chez notre petit Hans. Ce troisieme point -je le nomme enfin, je pense que vous l'avez tous sur les levres - n'est pas autre que le phallus. Et c'est pourquoi le phallus occupe une place d'objet si centrale dans l'economie freudienne.

このもう一つの点は、対象関係についての昨年のセミネールにおいて私が皆さんに持ち出したものですが、皆さんは今ではそれが無意識の形成物のなかに場所を占めていることがお分かりになるでしょう。この点は、ここに母と子供に対する第三者[tiers]の位置にあることを見るだけで、あなたがたはそのことを分かることと思います。ここでこの点は別の関係のなかにあることがお分かりでしょう。この別の関係のことを昨年あなたがたに隠していたということではまったくありません。といいますのも、我々のハンス少年に関して、小さな馬のファンタスムを出現させたものと、父-の-名との関係についてのところで〔昨年度のセミネールを〕終えたのですから*3。この三番目の点、これを私はとうとう名づけますが、あなたがたの舌の先にもでかかっていることでしょう、これはファルス以外の何物でもありません。それだからこそ、ファルスはフロイトのエコノミーのなかで対象のまさしく中心的な位置を占めているのです。


158

Cela suffit a soi tout seul a nous montrer en quoi erre la psychanalyse d'aujourd'hui. C'est qu'elle s'en eloigne de plus en plus. Elle elude la fonction fondamentale du phallus, a quoi le sujet s'identifie imaginairement, pour le reduire a la notion de l'objet partiel. Cela nous ramene a la comedie.

たったこれだけのことで、今日の精神分析*4がどのように間違っているのかをあらわにするのに十分です。今日の精神分析はますますファルスから遠ざかっているのです。今日の精神分析は、主体が想像的に同一化しているファルスの基本的機能を巧みに避け、ファルスを部分対象という考えに還元してしまっている*5のです。これではお笑い話に逆戻りです。


Je vous laisserai la pour aujourd'hui, apres vous avoir montre par quelles voies le discours complexe ou j'essaye de rassembler tout ce que je vous ai presente, se raccorde et tient ensemble.

今日はここでやめておきましょう。私がみなさんに提示したすべてのことを取りまとめようとしてお話しした複雑なディスクールが、どのような通路[voie]を通って繋がり、ひとつになるのかをあなたがたにお示ししたのです。

8 JANVIER 1958

159

*1:点線で示されている三角形のシェーマのなかで、φに向かい合った辺のこと。おおむね、フリュストラシオンの三角形の母‐子の線に対応する。

*2:寸断された身体は直接はあらわれてこない。むしろ、冒頭のユングの例にあるように、様々なイメージに包み込まれた形であらわれてくる。しかし、それを寸断された身体そのものと捉えるような勘違いはしてはならない。

*3:ハンス少年の恐怖症ならびに現実的父と父性隠喩についてのセミネール4巻の議論:恐怖症は、ハンスにとっての現実的父が去勢の執行者として介入することに失敗することに起因し(S4,邦訳下巻p.20/Seuil版p.212)、不在である現実的父のかわりに何かを代入することが必要となって起こった(S4,邦訳下巻p.33)。現実的父の不在によって父性隠喩が失敗すると、その代わりに何かを代入しなければならない。ラカンは恐怖症の目的、恐怖症が何を埋め合わせているのかという言い方をしている(S4,邦訳下巻p.45/Seuil版p.230)が、現実的父の不在による父性隠喩の失敗を埋め合わせているわけである。また、これは母親との分離[separation]からおこる不安を解決するひとつの手段でもある。以下に引用。「それまで子供はつまるところ母親の内部にいました。子供は、そこから投げ出されたと想像したばかりで、不安に陥っています。そして子供は、恐怖症の助けで(……)一連の敷居を打ちたて、これが世界を構造化するのです」(S4,邦訳下巻p.67/Seuil版p.246) また、ラカンはS4,邦訳下巻p.270で、「恐怖症的対象の隠喩機能」について述べ、それが「父性隠喩の代わり」であると明瞭に述べており、ボアズの麦束の話と同列に語ってもいる。つまり、恐怖症の発症は以下のようにまとめられる。[1]母親との分離から、不安が生まれ、[2]現実的父の不在のために、父性隠喩が失敗し、[3]不在を埋め合わせるために、「馬」という想像的対象をもちいる(「馬」恐怖症の発現によって不安から救う)、[4]「馬」が父を代理して、まがりなりにも父性隠喩が成功させられ、象徴界に参入可能(=世界の構造化)になる。つまり、恐怖症は暫定的解決に過ぎないが、まがりなりにも象徴的次元を導入することによって、分離という外傷的状況を思考可能かつ住みやすくすることになる。このように恐怖症が導入されることによって、状況全体が象徴的に生きうるものになるとラカンは言っている。

*4:ナシュト編「現代の精神分析 La psychanalyse d'aujourd'hui(P.D.A.)」

*5:cf. Ecrits, p.688. ラカンによる部分対象の扱いについては、Seminaire IV, 邦訳上巻p.158など。