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à la lettre

ラカン派精神分析・精神病理学に関するいろいろ

トマス・J・シェフ『狂気の烙印――精神病の社会学』#2

Thomas J. Scheff : Being Mentally Ill: A Sociological Theory(1966)
ASIN:B000J8I85M

第二章 どんな社会的ルールを破っているのか

「精神病」という言葉は医学的隠喩である。
「精神医学的「症状」という観念 ……が行動に適用されると、その行動は背後に横たわる精神病を意味すると解釈されることになる」(p.29)

精神医学的症状を社会学的観点から論じるための二つの概念

・ルール違反
  その集団で合意を得ているルール(社会規範)に明瞭に違反している行動


・逸脱
  おおやけに当局によって規範の侵犯としてのレッテルを貼られた特定の行為
  一つの行為それ自体の特徴というよりも、むしろその行為に対する人々の反応の性質

「社会集団はルールを作り、それらのルールを特定の人々に適用しそれらの人びとにアウトサイダーとしてのレッテルを貼ることによって逸脱を創り出す……逸脱はその人物がなす行為の質ではなくむしろ他の人びとが「違反者」に対して規則や裁可を適用した結果である。逸脱者とはそのレッテルが首尾よく貼られた者のことである」
(Becker, H. S. Outsiders, p.9)

残基的ルール違反

文化は、上品さや現実なるものについて、その文化自体の定義を物化(実体化)する傾向がある。
そのため、これらの領域では文化の期待に対する違反を処理する手段がない。
そのような規範は「いうまでもない」ので、それを破るなどということは思いもよらない。
「名前のないルール違反」を解釈する際の社会の都合から、これらの違反はひとかたまりにまとめて残基的なカテゴリーに入れられる。
例)魔法、憑物、精神病


精神病というレッテルを貼ることにつながる多様なルール違反は、残基的ルール違反である(p.32)

*ゴッフマン『公共の場所での行動』(Goffman, E. Behavior in Public Places)

彷徨や徘徊はふつう法律によって明確に禁じられていることに注目しながらさらに進んで、

「公共の場に出る人には何かをすることにたずさわっているか従事しているべきであるという期待を中心にして、はるかに精緻な一組の規範が存在している」(p.33)

例)喫煙、海辺で皮膚を焼く
このルールも当たり前のことで、人々は「たずさわりの欠如」を社会的に受け入れること仕方でほとんど自動的におおってしまう。

たずさわりのルール=残基的なルール

(1)ぼんやり
しばらくのあいだ自分だけが参加している遊びのような世界に没入すること。
例)空想、夢想、放心、白昼夢、自閉的思考
  身体的な表現としては、うわの空、鼻歌、いたずら書き、指でテーブルをたたく、髪の毛をねじる⇒これらは、社会的に受け入れることのできない文脈で生じた時にのみ公的な非難にあう
⇒つまり、「ぼんやり」が起こってもよい文脈を支配する残基的なルールが存在する
侵犯すると、つまり「ぼんやり」がこのルールを破ると、引きこもりと呼ばれ、精神病の証拠としてみなされがちである


(2)オカルト的たずさわり
他の人びとに自分が「ぼんやり」していることを自覚していないという印象を与えるような種類のぼんやり。
不自然な言語活動と不自然な身体活動を伴い、その行動は「了解可能」でもなければ「有意味」でもない。
例)精神病者の儀式的行為
しかし、「自然な行為」を特徴づけているのは何であるかについては、明確でない(残基的ルール)
侵犯すると、それ自体異常であるとみなされるような行動のタイプとされる


また、「オカルト的たずさわり」にも文化的違いがある
例)アフリカ社会の霊との対話

「精神病の症状の大部分が文化に固有な規範の網の目に対する侵犯として体系的に分類しうることが正しいとわかれば、これらの症状は、普遍的な身体的事象の領域、すなわち現在では、精神医学理論はこれらの症状を発熱のような文化と無関係な症状と一緒にこの領域に位置づける傾向があるのだが、そこから取り除かれ、他のあらゆる種類の社会行動と同じように社会学的および人類学的に研究することができるだろう」(p.37)
「精神医学の診断(は)、 ……症状的な行動のパターンに、その症状が生じている文脈を無視して焦点を合わせている」(p.38)

残基的ルール違反の原因

<命題1>
・気質的原因……ここでは論じない
・心理的原因……ここでは論じない
・外的なストレス……実験でえられる「モデル精神病」
 問題:(1)薬物や食物、睡眠、感覚遮断によって生み出された「モデル精神病」は実際「自然な」精神病とまったく同じなのだろうか、それとも(2)類似性は表面的なものにすぎず、実験室と自然事態のルール違反との本質的な差異をおおいかくしているのだろうか
・改革や反抗といった意志的行為……ダダイズムなど

残基的ルール違反の有病率

<命題2>

「治療を受けている精神病の比率に比較する記録されていない残基的ルール違反の比率は極端に高い。ルールのひどい侵犯がしばしば気づかれないかあるいはもし気づかれても奇行として合理化されるという証拠がある」(p.46)

以下、疫学的研究のデータが続く
・精神病患者一人に対して治療を受けていない人が20人ほどいる(ボルチモアの研究)
など

残基的ルール違反の持続と結果

つまり、「精神医学的徴候と症状が明白な症例についてその予後はいかなるものか」
医学的モデルが呼びおこすイメージは、〔現在の〕症状はそれよりも進んだ病気の最初のきざしにすぎないとあらかじめ医師に予想させてしまう傾向を持っている。
<命題3>

「大部分の残基的ルール違反は「否定され」、一過的な意義しかない。全体的な有病率の極度に高い比率は残基的ルール違反の大部分が気づかれないか、たやすく合理化されてしまうことを示唆している。無定形でいて結晶化していないこのタイプのルール違反に対してレマートは「第一次的逸脱」という用語を用いた(Lemert, E. M. Social Pathology/『狂気と家族』)。
バリントは同様の行動を「病気の組織化されていない局面」として叙述している(Balint, M. The Doctor, His Patient, and the Illness)。
バリントはこの局面にある患者が最終的には「組織化された病気に落着く」と仮定しているけれども、他の帰結もありうる。この段階にある人物は病気以外の用語で、つまり奇行とか天才として自己の逸脱を「組織化」するかもしれないし、状況からのストレスが除去されるときにルール違反が終了するかもしれない」(p.50)


以上3つの命題が正しいとすると、
「いかなる条件のもとで残基的ルール違反は固定されてしまうのだろうか」


伝統的な答え:その答えはルール違反者自身のなかにある
本書が提起する仮説:残基的ルール違反の固定化のもっとも重要な一要因は、社会的反作用である