à la lettre

ラカン派精神分析・精神病理学に関するいろいろ

『人はみな妄想する――ジャック・ラカンと鑑別診断の思想』刊行のお知らせ

(4/23追記)書店の店頭に並び始めました。通販サイトの在庫検索は、こちらをお使いください。引き続き、どうぞよろしくお願いします。


 このたび、青土社さんより『人はみな妄想する――ジャック・ラカンと鑑別診断の思想』という単行本を刊行することになりました。4月23日ごろから書店に並びはじめるようです。

人はみな妄想する -ジャック・ラカンと鑑別診断の思想-
人はみな妄想する -ジャック・ラカンと鑑別診断の思想-

 フランスにおけるこれまでのラカン研究の成果を消化し、ラカンを「鑑別診断論」という観点から通史的に読解した上で、現代思想におけるラカンの位置づけの更新を企てる著作です。ラカンとその周辺の大きな見取り図をつくることができたのではないかと考えています。

 構成としては、ラカンを「理論的変遷」という観点から詳細に読解する600枚程度の書き下ろしに、『思想』に書いた2論文(デリダ論含む)と、『現代思想』に書いたガタリ論を付け加えたものになっています。


 素敵な帯文を書いてくださったのは、哲学者の國分功一郎さんと、千葉雅也さんです。
 お二人曰く、

この本は現代思想の諸問題を高解像度の衛星写真のように写し撮る。クローズアップして細部を観察するのも、全体から道順を読み取るのも、読者の操作次第である。我々はここに、思考のための最高のツールをまたひとつ手に入れたのだ。(國分功一郎さん)

こころの問題を考えるすべての人が、本書から決定的なヒントを得るでしょう。かつてなく明晰な、ラカンを深く知るための新基準。(千葉雅也さん)


 上記のように、ありがたいお言葉を頂戴しました。
 ラカンの思想や臨床に興味をもっている方のみならず、ひろく現代思想や人文科学に興味をもっている方々に広くお読みいただければありがたいです。書店などでお見かけの際には、ぜひお手にとってみてください。


 ↓をクリックしていただくと、詳細目次がみられます。

序論 (10)

問題設定 (10)

 現代思想の争点としての「神経症と精神病の鑑別診断」
 サルトルからラカンへ――無意識の主体とは何か?
 臨床における鑑別診断と主体の問題
 ラカンの生涯と鑑別診断の要請

本書の構成と限界 (34)

 本書でもちいる読解の方法
 本書の限界
 本書の構成

第一部 ラカンの理論的変遷を概観する (40)

はじめに (40)
第一章 三〇年代ラカン――妄想の無媒介性とシュルレアリスム (41)
第二章 五〇年代ラカン――精神病構造をどのように把握するか (44)

 一 要素現象の有無による神経症と精神病の鑑別診断
 二 ファリックな意味作用の成立の有無による神経症と精神病の鑑別診断

第三章 六〇年代ラカン――分離の失敗としての精神病 (58)
第四章 七〇年代ラカン――鑑別診断論の相対化 (64)

 一 症例狼男の再検討
 二 排除の一般化
 三 妄想の普遍化
 四 神経症と精神病のあらたな位置づけ

第二部 神経症と精神病の鑑別診断についての理論的変遷 (79)

第一章 フロイトにおける神経症と精神病の鑑別診断(一八九四~一九三八) (79)

 一 防衛の種類による鑑別診断(一八九四~一八九六)
  神経症における防衛(転換と配転)
  精神病における防衛(排除)
 ニ 表象の心的加工の有無による鑑別診断(一八九四~一九〇五)
 三 メタサイコロジー期の鑑別診断(一九一五)
 四 ナルシシズムによる鑑別診断(一九一一~一九一五)
  ナルシシズムの導入
  転移神経症とナルシス的神経症
  リビードの外的世界への再-局在化としての精神病の過程
  同性愛か、父コンプレクスか?
 五 現実喪失と空想世界からみた鑑別診断(一九二四)
 六 最後期フロイトにおける鑑別診断の衰退(一九二五~一九三八)
 七 小括――フロイトのなかにあるラカン

第二章 『人格との関係からみたパラノイア性精神病』における鑑別診断(一九三二) (118)

 一 妄想における「意味上の明解さ」
 二 症例エメの葛藤と妄想の関係
 三 精神病の特異的原因としての「人格の発達停止」とその治癒的解決

第三章 『精神病』における神経症と精神病の鑑別診断(一九五五~一九五六) (128)

 一 『精神病』における二つのパラダイム
 二 「意味作用」による鑑別診断――第一の排除
  抑圧と排除(第一の排除)
  「問いの構造」からみた鑑別診断
  『精神病』の第一のパラダイムの小括
 三 「シニフィアン」による鑑別診断――第二の排除
  接近不可能なシニフィアン(第二の排除)
  病前のありようと発病契機からみた鑑別診断――「かのようなパーソナリティ」と「発言すること」
 四 「フロイトの「否定」についてのジャン・イポリットの注釈への返答」(一九五六)にみられる第三の排除とその運命

第四章 エディプスコンプレクスの構造論化(一九五六~一九五八) (169)

 一 妄想分裂ポジションと抑うつポジション
 二 フリュストラシオン
 三 欲望の弁証法
 四 治療指針としての「ラカンの禁欲原則」
 五 対象欠如の三形態
  剥奪
  去勢
  去勢によるセクシュアリティの規範化――「仮装」と「おとしめ」
 六 エディプスの三つの時
  エディプスの第一の時
  エディプスの第二の時
  エディプスの第三の時
 七 父性隠喩――象徴界の統御とファリックな意味作用の成立
 八 症状の意味作用による鑑別診断

第五章 「精神病のあらゆる可能な治療に対する前提的問題について」(一九五八)の読解 (217)

 一 「過程」の有無による鑑別診断――ヤスパースからラカン
  精神医学の鑑別診断における「過程」と「要素現象」
  精神分析における鑑別診断と「過程」
 ニ 精神病に特異的な現象としての「現実界におけるシニフィアン
  コードの幻聴(根源言語と妄想直観)
  メッセージの幻聴(中断されたメッセージ)
  ラカン派における要素現象
 三 精神病の経過論――シェーマL、R、I
  シェーマL
  シェーマR
  シェーマI
  〈父の名〉の欠落(P0)
  ファリックな意味作用の欠落(Φ0)
  妄想の役割は現実代替である
  妄想の論理としての女性化(i→m)
  妄想の論理としての法の制定(M→I)
  シュレーバーに対する可能な介入(シェーマIの上下)

第六章 六〇年代ラカンにおける神経症と精神病の鑑別診断(一九五八~一九六七) (260)

 一 〈父の名〉の衰退(一九五八~一九六三)
 二 大他者に対する態度による神経症と精神病の鑑別診断(一九六〇~一九六六)
 三 心的システムの構造化における〈物〉の切り離し(一九五九)
 四 〈物〉の侵入に対する防衛のモードによる神経症と精神病の鑑別診断(一九六〇)
 五 対象aの導入(一九六〇~一九六三)
 六 対象aの顕現に対する防衛のモードによる鑑別診断(一九六二~一九六三)
 七 疎外と分離(一九六四)
  疎外
  分離
 八 疎外と分離による神経症と精神病の鑑別診断(一九六四~一九六七)
  精神病における分離の失敗とその帰結
  神経症における疎外と分離

第七章 七〇年代ラカンにおける神経症と精神病の鑑別診断(一九六五~一九七六) (304)

 一 症状概念の再検討――七〇年代ラカンの前史(一九六五~一九六八)
 二 ディスクールの理論の練り上げ(一九六八~一九七〇)
  ディスクールの外部としての精神病
  ディスクールからみた精神病の病理――人はみな妄想する
 三 性別化の式の構築――「女性(例外)-への-推進」としての精神病(一九七〇~一九七三)
  性別化の式の完成形
  性関係の排除(一般化排除)
  並外れた精神病――女性(例外)-への-推進
  普通精神病――非-例外の精神病
 四 症状の一般理論の構築(一九七二~一九七五)
  存在論(オントロジー)から〈一者〉論(ヘノロジー)へ――白痴の享楽の肯定的用法(一九七二~一九七三)
  「書かれることをやめない」ものとしての症状(一九七四-一九七五)――自閉症におけるララング
 五 症状からサントームへ(一九七五~一九七六)
  ジョイスにおけるボロメオの結び目の失敗とその補填
  症状ジョイス――特異性=単独性の重視
  精神分析的解釈の再定義としての「逆方向の解釈」
  精神分析の終結を再定義する――「折り合いをつけること」と「うまくやっていくこと」

第三部 鑑別診断「以後」の思想 (382)

第一章 人はみな妄想する――後期ラカンドゥルーズ=ガタリ (382)

 一 はじめに
 二 ガタリによるラカンへの抵抗
  神経症と精神病の脱構築
  構造とその外部
 三 『アンチ・エディプス』――ラカンへの抵抗?
 四 精神分析の新しいパラダイムとスキゾ分析
  排除の一般化
  現実界へと向かう「逆方向の解釈」
  特異性を目指す臨床
  終わりあるプロセスと終わりなきプロセス
 五 おわりに

第二章 ヴェリテからヴァリテへ――後期ラカンデリダの真理論 (407)

 一 はじめに
 二 真理とエディプス
 三 精神分析アルゴリズム化可能か?
 四 精神分析の終結とその伝達
 五 真理からヴァリテへ

結論 (435)

あとがき (443)

初出一覧 (447)

文献一覧 (viii)

事項索引 (ii)

人名索引 (i)