本日(5月27日)発売の『現代思想』2013年6月号(特集=フェリックス・ガタリ)に、拙論「人はみな妄想する ガタリと後期ラカンについてのエチュード」を寄稿しました。
近年のガタリ再評価の動きのなかで、後期ラカンの臨床とガタリの近接性が指摘される機会が多くなり、またジャック=アラン・ミレールも2005年の講義のなかで「『サントーム』は『アンチ・エディプス』の陽性化である」と述べていました。本稿は、ガタリのテクストと後期ラカン、ミレールのテクストの読解をもとに両者を比較検討するものです。
論考のなかには書きませんでしたが、実はこの論考の執筆には背景があります。拙論「ラカン派の精神病研究--「精神病の鑑別診断」から「普通精神病」へ」(『思想』、1060号)で提示した70年代のラカン理論について、同誌の1065号で國分功一郎先生が「ドゥルーズの哲学原理(4)――構造から機械へ――」のなかで言及してくださり、その際にドゥルーズとガタリの共同作業によるスキゾ分析と70年代ラカンの親近性という問題を國分先生が立ててくださいました。本論(ガタリ論)はその問いに対する私なりの応答、と私のなかでは位置づけております。
なお、『ドゥルーズの哲学原理』は6月18日に岩波書店から単行本として出版されるようです。
『現代思想』今号の他の論考や対談も拝読しましたが、非常にバラエティに富んだ、まさにガタリの思考と実践の横断性を体現するような特集号に仕上がっていると思います。
どうぞよろしくお願い致します。