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à la lettre

ラカン派精神分析・精神病理学に関するいろいろ

『天使の食べものを求めて―拒食症へのラカン的アプローチ』に解説を寄稿しました

 今月(2012年11月)、三輪書店より翻訳書『天使の食べものを求めて―拒食症へのラカン的アプローチ』が刊行されました。監修は加藤敏氏、監訳が向井雅明氏。私は25頁ほどの解説を寄せています*1

天使の食べものを求めて―拒食症へのラカン的アプローチ
天使の食べものを求めて―拒食症へのラカン的アプローチ

amazonが在庫切れの際は、版元サイト紀伊國屋書店ジュンク堂セブンネットショッピングなどでもご購入頂けます。


 本書は、原書は「Les indomptables」という題で、直訳すると「飼いならせない者たち」、「じゃじゃ馬娘」(?)といったところでしょうか。邦題の「天使の食べもの」というのは、本書で扱われている拒食症者、シエナのカテリーナが死の前に述べた「天使の食べものを食べたい」という言葉に由来しています。ラカンは拒食症について、「食べない(manger rien)のではなく、無を食べている(manger "rien")」と述べましたが、著者らはこれをカテリーナの「天使の食べものを食べたい」という言葉のなかに読み取っているのです。

 本書では、カテリーナの他にも、オーストリアの女帝シシィ、アンティゴネー、シモーヌ・ヴェイユといった歴史上(伝説上)の人物が取り上げられます。この題材の選択からも分かるように、著者らは拒食症を「痩せが流行となった時代の病」とは見ていません。むしろ、拒食症というあり方を、ある種の超時代的な、主体のひとつの存在様式とみなすのです。
 それはどういった存在様式でしょうか。すべての欲求や要求が満たされ、もはや欲望することが不可能になってしまった世界に対して、「無を食べる」ことによって、自らの身体を賭してそこに欠如としての欲望を刻み込むようなあり方です。ここには当然、家族の歴史性のなかでの主体の位置の問題が問われることになりますが、著者らは4人の人物の人生を精神分析的に読み解き、彼女たちの存在様式を浮き彫りにしています。また、拒食症者が生きる、欲望することが不可能になった世界は、あらゆる事柄が即時的な快の供与によって解決されてしまう現代という時代のメンタリティとも関連してくることでしょう。

 これまで、ラカン関係の書籍というと、理論の説明がほとんどで実際の事例がない、といったものが多かったように思います。反対に、本書は事例のなかから理論を浮き上がらせる、という仕方で終始記述されており、それでいて理論的にも非常に明晰である、という特徴があります。私の執筆した解説では、とくにラカン理論からみた拒食症についての簡便な解説を試みています。

 各章の内容について少しご紹介しますと、第1章は拒食症をはじめて記述したラセーグにはじまり、それをフロイトや後の精神分析家たち、あるいは精神科医がどのように捉えてきたのかという研究が総論されています(この章はもっとも専門的な内容となっていますので、後の章を先に読んでから再読することをおすすめします)。
 第2章は一般読者にはもっとも読みやすい章かと思いますが、オーストリアの女帝シシィが取り上げられます。彼女の拒食症とハンガリーへの執着は有名ですが、それがいかに大他者(=母親)への反抗として組織されていたかが解明されます。この大他者に対する態度が拒食症という主体の存在様式を規定しているのです。
 第3章はラカンが『精神分析の倫理』で提示した「欲望に関して譲らないこと」という謎めいた表現が、アンティゴネーを例にとって例証されます。アンティゴネーは拒食症ではありませんが、その欲望に対する戦闘的なあり方は、実に拒食症的です。かなり多くのアンティゴネー論が参照されておりそれだけでも価値がありますが、オイディプスの一族における家族の歴史がジャン=ピエール・ヴェルナンなどを参照しながら解き明かされており、また、何よりも「欲望に関して譲らないこと」についての明晰な議論は傑出しています。
 第4章はシモーヌ・ヴェイユが扱われます。ヴェイユの場合にも家族の歴史が詳細に問われますが、ここでのキーワードは「ユダヤ性」です。ヴェイユはあれほど弱者救済に力を注いだにもかかわらず、ユダヤ人問題に対しては超然とした態度をとったことが知られています。この謎が拒食症という側面から論じられます。その他には、ベケットとの関係が論じられているのも面白いところでしょうか。
 第5章はシエナの聖カテリーナが扱われます。ここで問題になるのは神秘主義思想と中世における身体の位置づけです。著者らはミシェル・ド・セルトーやピエール・ルジャンドルを参照しながら、拒食症という病がもつきわめて「現代的」なイメージを払拭し、それが人間のひとつの普遍的な存在様式であることを示しています。

 人文科学、思想系、精神科医、心理職だけでなく、一般読者や摂食障害当事者まで幅広く読んでいただける書籍に仕上がったと思います。どうぞよろしくお願いいたします。


 三輪書店のサイトに詳細目次がアップされておりますので、以下に転載いたします。

内容紹介
 拒食女性たちを、病的なほどに痩せなければならないという衝動に駆りたてる力とは何なのだろうか? 彼女たちの目的は何なのか? また彼女たちは、どのような星座のもとに、いや、どのような家族神話の中にこうして囚われているのだろうか?
 拒食女性は、社会秩序から逃れられない症状を提示しながら、私たちに根本的な問いを投げかけている。「自分は誰? 私の場所はどこ?」と。彼女は、自分が症状を自由にするどころか、症状の中で身動きできない状態であると否応なく意識するとき、初めてこれらの問いを発することができる。
 本書では、程度は異なるがいずれも伝説的な4人の人物(オーストリア皇妃シシィ、ソフォクレスが描いたアンティゴネー、哲学者シモーヌ・ヴェイユ、シエナの聖カテリーナ)について語ることによって、この拒食症とは何かの糸口を探っていく。
 4女性のうち3人は、彼女たちの症状がまだ精神医学的に分類されていなかった時代の人物である。神経性食欲不振症が認知されてからまだ1世紀しかたっていないのだ。「精神的」疾患というレッテルはショックを与える。しかしさまざまな時代、国、階層を通してみると、拒食症というこの存在様式が時代や場所にかかわらずに出現していることがわかる。
 彼女たち一人ひとりは自分の肉体を賭けて、懸命に自分自身の真実を述べようと試みた。ある大義のために犠牲を払うほどの彼女たちの戦闘的な態度は、現代の拒食女性たちの態度に匹敵する。


目次

序文
  翻訳者からの提案
     
第1章 拒食症の神話
  拒食症―1世紀前からの病気、あるいは20世紀の病気?―
  拒食症の分離から、拒食症者の隔離へ
  理解することへの情熱
  精神分析と医学の間での拒食症
  人文科学と社会科学の間での拒食症
  説明することへの情熱
  治すことへの情熱
     
第2章 拒食の女帝、シシィ
  幼年期から結婚まで
  金の鳥かご
  殺された女、殺す女
  身体の崇拝
  シシィと彼女の大義:ハンガリー
  死、ついにやってきた死
     
第3章 アンティゴネーの選択
  オイディプス王
  コロノスのオイディプス
  アンティゴネ
  家族の秘密
  犠牲と墓
     
第4章 シモーヌ・ヴェイユ
  「私たちはお腹が空いて死にそうなのに、両親は私たちが飢え死にするまで放っておくの」
  「10歳の私はボルシェヴィキだった」
  ル・ピュイの赤い聖処女
  「いったい、おまえの苦しみは何なのだ?」
  「おはよう、ワンちゃん」
  「私は自分の誕生を見ませんでした。しかし自分の死はぜひ見たいと思うのです」
  「無を欲望しなければならない」
  この恐ろしい虚言
  「不幸の主な効果は、魂に『なぜだ?』と叫ばせることである」
  『神を待ちのぞむ』から『ゴドーを待ちながら』へ
  「正しくあるためには、裸で死んでいなければならない」
     
第5章 シエナの聖カテリーナ 教会博士
  聖女の人生
  聖女の政治
  天使の食べもの
     
エピローグ
     
解説 拒食症とは何か
    拒食症という「思想」
    精神分析(対象関係論)からみた拒食症――クラインとウィニコット
    欲望としての拒食症
    アンチ・マーケティング―あるいは、精神分析の倫理
    拒食症者の家族神話

 

*1:他に、訳文校閲・訳注作成も行なっています。