à la lettre

ラカン派精神分析・精神病理学に関するいろいろ

ヤスパース『ストリンドベルクとファン・ゴッホ』における「要素現象」

 以前,「要素現象(phénomène élémentaire)」というラカンの用語が,実はヤスパースの『精神病理学総論』に登場する「elementares Phänomen」という用語に由来するものである,ということを紹介した.その後にパリ留学中の精神科医の知人から教えていただいたところによると,どうやらフランスではこのことは半ば常識となっているようであるという.私が調べたところでは,唯一,ジャック=アラン・ミレールの論文「L’invention du délire」*1において,要素現象がヤスパースの議論と関連付けて論じられていた.ラカンはセミネール3巻『精神病』で,たしかに要素現象をクレランボーに由来する概念であると述べている*2が,この発言はクレランボーの精神自動症から受けた影響をヤスパースのものと言ってしまった,ある種の失錯行為である可能性が高いだろう.日本では要素現象を論じるときに『精神病』が参照されることがほとんどであるが,フランスでは要素現象を論じるときには,『精神病』よりもラカンの学位論文を参照することが多いという.このように,参照のコーパスの問題もあるようである.

 さて,その後も,要素現象の概念をめぐって,ヤスパースの著作を断続的に読んでいるのだが,つい最近は1922年の『ストリンドベルクとファン・ゴッホ』 にも「elementares Phänomen」が登場することを発見した.ただし「elementares Phänomen」は「原発性体験」と訳されていた.以下に引用して示す.

 要素現象(elementares Phänomen)とは,〔病的〕過程そのものによって発現するものであり,あらゆる反省に先立って,無媒介に体験される現象をいう.ストリンドベルクでは,自我意識,感情,行動などの領域では著明な変化はない.彼は主として対象意識の内容および形式の異常についてのみ報告している.重要なことは,これらの内容は決して比喩的に(als ob),たとえば一定の感覚が外界からの遠隔的作用として解釈されるのではなく,むしろ,これらの現象は無媒介に現実として存在し・・・あたかもわれわれの知覚内容のごとき無媒介性を以て現れる.
(『ストリンドベルクとファン・ゴッホ』,邦訳p.80/原書p.100.邦訳は適宜変更した.)

 『ストリンドベルクとファン・ゴッホ』は,ヤスパースがスウェーデンの劇作家・小説家であるストリンドベリゴッホ統合失調症として捉える一種の病跡学的研究であるが,精神医学を離れて間もないヤスパースの筆になることもあり,『精神病理学総論』とほぼ同じ分析手法と術語が使われている.これは「要素現象」についても同様であるし,むしろ,『精神病理学総論』では「要素的体験」や「要素的症状」などと呼ばれていた様々な原発性の症状のすべてを「elementares Phänomen」として総称しようとしているようにも読める.*3

 なお,『ストリンドベルクとファン・ゴッホ』が発表された1922年は,まさにヤスパースが『精神病理学総論』の第2版(1919),第3版(1922)を大幅な加筆修正を加えて再版し,自らの体系をさらに充実させようとしていた時期に相当する.この時期のヤスパースの思索を追うためには,彼の『精神病理学総論』第2版,第3版や,同時期の哲学的著作にも直接当たらなければならないだろう.

 なお,ヤスパースの精神病理学と哲学との相互の影響関係については,すでに加藤敏先生による綿密な研究*4がある.この論文はこれまで手に入りにくかったが,先日遂に単行本化され入手しやすくなった.その他の論文も,西洋哲学を中心に病理との関係が緻密に,ときに大胆に論じられており,哲学と精神病理学に興味のある向きには間違いなくお勧めできるものである.



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*1:Miller, J.-A.:L’invention du délire. La Cause Freudienne, 70:81-93, 2008

*2:Les psychoses, p.28

*3:余談であるが,Strindberg und van Goghのフランス語訳は1953年に,モーリス・ブランショの序文を付せられて出版されている.ラカンは『精神病』のセミネールを開講する前に本書を読んだ可能性もあるだろう.

*4:加藤敏:カール・ヤスパースにおける精神病理学と哲学――架橋の試み.コムニカチオン,16:19-35,2009