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à la lettre

ラカン派精神分析・精神病理学に関するいろいろ

10月に2つの学会発表を行ないます

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 10月7日,10月29日に,それぞれ「第33回日本精神病理・精神療法学会」「第14回精神医学史学会」にて,ラカンに関連する演題を発表させていただく予定です.
 内容としましては,精神病理学会のほうでは,今年当blogで取り上げたラカンの「要素現象」について,特にクレランボーに対する批判という点に注目し,出来る限り記述精神病理学的な観点からラカンとヤスパースの関係に迫ろうと思っております.精神医学史学会のほうでは,ラカンの精神医学上の先駆者であったセグラやセリエが哲学者ベルクソンを援用しながら論じていた「無媒介性の病理」を取り上げ,彼ら(およびラカン)のクレランボーとの対立という構図を描きます.つまり,2つの発表はそれぞれ,「要素現象」ないし「無媒介性の病理」から,それぞれ「シニフィアン」と「内言語」について考えようとするものです.
 私の考えでは,セグラ一派における「内言語」は,ラカンの「シニフィアン」の概念に関して,ソシュールの「シニフィアン」よりも大きな影響を与えています.この意味で,この2つの発表はお互いに関連したものであると考えています.
 盛会のうちに終了いたしました。ご来場の皆様、ありがとうございました。

第33回日本精神病理・精神療法学会 一般演題A-4(10月7日午前)
要素現象(phénomène élémentaire:Lacan, Jaspers)からみた統合失調症症状の出現過程


(抄録) Lacanが『精神病』のセミネールで提出した「要素現象(phénomène élémentaire)」の概念は,これまでClérambaultの「小精神自動症」に由来する用語とされてきた.しかし,Jaspersの『精神病理学総論』をよく読んでみると,これとほぼ同じ「元素的現象(elementaren Phänomens)」(p.60, 65)という術語が認められる.Lacanは学位論文を執筆するにあたり,Jaspersをひとつの重要な準拠枠としていることを考えると,要素現象はJaspersの議論と関係が深いものと思われる.本論で,私たちはこの用語について考察し,各種の統合失調症症状を要素現象からの発展形態として把握することを試みる.
 Jaspersにとって,要素現象は先行する心的体験との了解関連なしに原発的に生じ,患者に無媒介に侵入し,妄想体験についての確信と訂正不能性を作り出し,後の精神病症状の基礎となるものである.これは「過程」の一次的表現とも考えられる.例えば,Jaspersは原発性妄想体験,実体的意識性,妄覚,思考障害,思考奪取,作為体験などを「要素的」な症状と考えている.
 フランスでは,LacanがJaspersの要素現象を継承した.彼は学位論文(1932年)で,妄想が「原発的に」生じることを強調し,妄想解釈は先行する心的体験から推論されえないと考えた.それゆえ,彼は妄想を先行する精神自動症に対する二次的な反応に過ぎないと考えるClérambaultとは意見を異にしており,妄想についてはむしろJaspersの見解を継承している.要素現象は先立つ心的体験からの推論なしに,突如として無媒介に患者に立ち現れる一つの先行者なき出来事である.そして患者は,気がついたときには常にすでに,その出来事の強度に圧倒される受動的立場を強いられる.
 1950年代のLacanは「Jaspersの過程を人間のシニフィアンへのもっとも根本的な関係によって定義する」(Ecrits, p.537)ことを目的とし,要素現象を謎のシニフィアンの患者への突然の出現として再定義した.謎のシニフィアンとは,その明確な意味を知り得ないが,何かを指し示していることは分かる「読めない外国語」のような純粋なシニフィアンである.
 精神病の初期段階において,患者はこのシニフィアンの突然の出現に困惑し,その非意味の力に圧倒される(妄想気分,妄想知覚の第一段階).次に,このシニフィアンは患者自身を指し示す.患者は他の人々から見られている,ないしすべてのものが彼に関係していると感じる(自己関係づけを伴なう妄想知覚の第二段階,あるいは「病的な自己関係づけ」).最後に,このシニフィアンは患者にとって特定の意味を持ち始める(自己関係づけと特定の意味を伴なう妄想知覚の第三段階).この最後のプロセスは「妄想的隠喩」によって行われる.妄想的隠喩によって,特定の妄想的他者が現れ,患者は彼の経験した不可思議な体験はこの妄想的他者によって動かされていたのだと結論づける.彼は妄想的他者に従属し,この他者に対して妄想的意味を生産することを強制される.要素現象にはじまる妄想体験は,究極的には生み出すという行為を妄想的他者から一方的に強要されるという形式に至る.意味を生産させられる場合は妄想体系が築かれ,性的な生産を強いられる場合は生み出す性としての女性に変貌させられるという女性化(féminisation)の主題が展開する.このような妄想的他者による強制体験のもとでは,患者は他者に享楽される対象aの位置に失墜してしまう.つまり,患者は妄想的他者の享楽の対象であることを構造的に要請される.私たちはこの構造を「精神病者のディスクール」と呼び,統合失調症における言語構造の侵入と圧倒的他者の突出という二重の病理のあり方を示す一般的な公式として据える.
 同じことが言語性幻覚および対話性幻聴にもいえる.言語性幻覚は患者の頭の中への無意味なシニフィアンの突然の出現として始まる.この幻覚的シニフィアンが他者性と聴覚性を獲得し,他者から語りかけられる形式の言語性幻聴となる.患者は次第に幻聴の問いに対して返答することを強制され,最後には患者の返答までもが他者性を獲得し,患者は複数の人間の問答の幻聴を聞くようになる.
 要素現象の構造は「現実界へのシニフィアンの侵入」として位置づけられる.私たちは要素現象とHuberらの基底症状との関連性を述べ,基底症状の力動的側面を,Freudが問題としたリビードの障害,またLacanが問題とした享楽の病理から光を当てたい.最後に,私たちは,Jaspersは現代の記述精神病理学の創始者の一人であり,彼の記述に耳を傾けることの重要性を指摘する.

第14回精神医学史学会(10月29日) 一般演題A-1(10月29日午前)
フランスの精神病研究におけるベルクソンの哲学――セグラからラカンへ


(抄録) 哲学の改訂を目的としてHusserl, E.によって開始された現象学は,精神医学に重大な影響を与えている.一方,20世紀初頭のBergson, H.の哲学の流行は,同時期の現象学運動に比類すべきものである.しかし,Bergsonの精神病理学の領域における影響は十分な評価を得ているとは言えない.
 Séglas, J.は1914年の心理学協会の会合で,精神幻覚の分類を再検討している.彼は,Bergsonの「意識に無媒介に与えられるもの」という表現を援用し,精神病では二次的・反省的意識とは一線を画す「内言語が直接的・無媒介に与えられる病理」が生じることを強調する.
 さらに1927年のパリ精神医学会において,Ceillier, A.はClérambaultの批判を行う.彼は,妄想を精神自動症に対して二次的に発生してくるものと考える妄想二次説を批判し,「妄想もまた無媒介に与えられる」と主張する.さらに,彼はClérambaultの「人格の二重化の二次説」をも批判する.Ceillierの講演はSéglasに比べてさらにベルクソニスムの色が強く,Bergsonの用語がいくつも散りばめられている.
 ところで,内言語が「意識に無媒介に与えられたもの」であるというSéglasの考えは,『試論』のBergsonはある種の反言語論といった趣をもつがゆえに,一般的なBergson理解からは奇異なものに思える.Bergsonの哲学に見られる反言語論的な側面については,特にLacan, J.が批判を加えている.
 しかし, Séglasのいう「無媒介に与えられる内言語」という考えを再考し,そこから何らかの有意義な結論を引き出すよう試みることも私たちにはできるように思われる.そのためには,Bergsonにおける言語の問題を再考することから始めなければならない.


Le philosophie de Bergson dans la psychopathologie française – De Séglas à Lacan
Résumé: Le mouvement phénoménologique influença beaucoup sur la psychiatrie de la première moitié du XXe siècle. L' engouement pour la philosophie de Bergson à la même période peut être mise en parallèle avec le mouvement phénoménologique. En 1914, Séglas employait l'expression de Bergson "données immédiates de la conscience". Il affirmait que le langage intérieur est donné "immédiatement" pour nous, et que l'hallucination verbale n'est pas le jugement secondaire ou réfléchi à d'autres expériences psychiques, mais le langage intérieur donné "pathologique". En 1927, du point de vue du bergsonisme, Ceillier a critiqué la théorie de Clérambault sur les délires et la personnalité second, et a affirmé que les délires et le dédoublement de la personnalité sont aussi des phénomènes «immédiats». Enfin, nous avons réévalué la philosophie de Bergson sur le langage, et essayé d'inclure la théorie de Lacan sur la psychose dans l'histoire de la théorie sur la pseudo-hallucination en France.

それぞれの学会の詳細は以下のURLからお願い致します.
http://www.sysconet.jp/jspp33/
http://jshp.blog20.fc2.com/blog-entry-59.html


※ 画像はセグラ(Jules Séglas).生没年はフロイトと同じ1856-1939年.画像がWeb上のどこにもないのでアップ.