エディプス・コンプレックスという心的現実が、サンボリック、イマジネール、レエルの三つの輪をつなぎとめる新たな結び方として提示される箇所からの抜き書き。訳は適当。
四項を持つこと、これはフロイト自身は出来なかったことですが、分析において問題になっているのはまさしくこのことなのです。それはレエル、これはフロイト的意味での現実性[realite]ではありませんが、そのレエルがサンボリックを二点で乗り越えること[surmonte]、これがまさに分析において問題になっていることです。私がここでこのような形式のもとにお話したことは、イマジネールな意味における乗り越え[surmontement]とは何の関係もありません。言わせていただけるなら、レエルがサンボリックを支配する[dominer]というように理解してはいけないのです。
(中略:レエルとサンボリックの秩序=順番を入れ替えても、ひっくり返してしまえば同じになってしまい何も変わらないことが説明される)
秩序の変更、レエルとサンボリックのあいだの平面の変更はまったく問題になっていません。このことをはっきりさせておきましょう。そうではなく、ただ単純に、別のやり方で結ぶことが問題になっているのです。別のやり方で結ぶこと、これはエディプス・コンプレックスに本質的なことであり、分析それ自体を遂行しているものであり、今年私たちが着手しているエク-システンス[ek-sistence]の領野の巧緻に入ることであります。
(Lacan, Séminaire22, 1975/1/14)
ラカンのトポロジー―精神分析空間の位相構造
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