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à la lettre

ラカン派精神分析・精神病理学に関するいろいろ

エルンスト・クリスの症例とラカンのアクティング・アウト論(2)

エルンスト・クリスの症例

エルンスト・クリスの論文「自我心理学と精神分析療法における解釈」の第二章「例証[Illustrations]」に移ろう。
ここでクリスは先に見た「深層の分析(エス分析)」と「表面の分析(防衛の分析)」の違いと、そこからえられる臨床的技法を例証している。
クリスが最初にとりあげるのはアンナ・フロイトの症例*1である。患者は6歳の少年であり、歯医者にかかったことが痛ましい経験となり、この経験が症状行動を引き起こした。患者は分析家のさまざまな対象を破壊し、何度も鉛筆を研いだりすることを繰り返した。
クリスはこの症例を、深層の分析と表面の分析の区別から、三つの側面として分析する。

(1)エス解釈(深層) 報復的去勢
(2)防衛の解釈(表面) 受動的経験を能動的経験にかえた
(3)防衛の解釈(表面) 歯医者とその攻撃性に同一化した

この三つの解釈は、それぞれ(1)初期フロイト風、(2)「快原理の彼岸」風、(3)「自我と防衛」風、と整理できるかと思う。

クリスはこのように言っている――この三つの解釈は、防衛機制の使用を意識化することを目的としているのではなく、分析状況が究極的にこの三つすべての解釈を必要とする(p.20)。

解釈をエスの側面に限定するというこころみは、古い手続きをあらわしている。この古い手続きは、私たちの語っている〔自我心理学への〕変化によって完全に刷新された、と私たちは信じている。解釈を防衛機制に限定することは、患者がまた準備できていないという仮定によってのみ正当化されうる。(……)私たちが注意深く解釈の幅を狭めたとしても、患者は私たちがそうしなかったかのように反応することも起こりうる。私たちの解釈が危険を退ける防衛機制(すなわち同一化)を指摘した一方で、次の一連の連想は患者にあたかも私たちが彼の女性性を解釈したかのような反応を引き起こすのである。このようなシーケンスは、〔分析の〕正常な進行を示している。すなわち、解釈は退ける装置[warding-off device]に言及し、反応は退けられた衝動[impulse warded-off]を明らかにする。
(Kris, pp.20-21、強調は筆者)


次にクリスが取り上げる症例は、「脳みそを食べる男」として知られる症例である。これはクリス自身の症例であるが、クリスとの分析を開始する以前に、「自我心理学の問題が分析技法に影響を及ぼしていなかった時に」(p.21)最初の分析を受けていたという。これはつまり、最初の分析はフロイト流のエス解釈であり、二度目の分析となったクリスとの分析が防衛の解釈であったということである。ちなみにこの患者の最初の分析家とは、メラニー・クラインの娘のメリッタ・シュミーデベルグである。
患者は最初の分析でも著しい改善をみせていたが、クリスとの二度目の分析、つまり「表面に近い」分析によって新しい光があてられ、その解釈が挿入されることになった、とクリスは書いている(p.21)。

症例の要約

患者は30代前半の若い科学者であり、尊敬されるべきアカデミック・ポストを得ていた。しかし、それ以上の研究を公刊できないために、さらに上級の地位に進めずにいた。最初の分析では、能力の改善、社会的制止の低減、人生における大きな変化が起こった。二度目の分析に入るにあたって、彼が別の分析家と分析に入ることで最初の分析家(メリッタ)が機嫌を損ねはしないかと不安になっていた。何年か悩んだ後、患者は男性の分析家と分析に入ることを考えた。
最初のメリッタとの分析で、患者は自分が生産的になれないのは恐怖と罪のためだということを学んでいた。患者は貧乏だった時代に、盗みをはたらいており、それと同じように今も常に盗もうとしており、他の誰かの考えを使うという衝動の圧力の支配下にあった。他の誰かというのは、たいてい彼の友人である。その友人もまた研究者であり、と長く会話しており、また患者のオフィスとその友人のオフィスは近くにあった。
仕事と出版のプランがかたまりそうになっていたとき、患者は図書館に行き、ある学術論文を見つける。そして、その論文の中に自分のものと同じ基本的考えが展開されていることを発見した、とクリスに報告する。その論文を患者は以前にも見たことがあり、よく知っていたという。患者がこのことを話すときの逆説的な満足と興奮した調子はクリスを惹きつけ、クリスは患者の仕事がその論文の盗作にあたるのかどうかを自ら詳細に確かめた。その結果、古い論文は患者の仕事の支えにはなるが、論文それ自体には患者の仕事についてのなんのヒントもないことが分かった。つまり、この患者は実際にはまったく盗作をしていないのである。
さらに分析は続き、患者の仕事における制止を決定している要因として、父との同一化が重要な役割を果たしていることが分かった。
患者の祖父[grandfather]は科学者であり、成功していた。患者の父もまた科学者であったが、その父は学問上の業績において失敗していた。患者はこの父との早期の関係における葛藤を再生産していると考えられた。患者の剽窃への欲望は、剽窃する価値のある他者が存在していることを前提とするため、その欲望は「偉大な-父[grand-father]」、つまり「祖父のように成功した父」を望むことによって決定されているといえるのだ。クリスは患者の夢を分析して、この解釈にもみられるようにすぐれてファルス的な「父のペニスを取り込むこと」というテーマを発見している。
このような解釈のあと、患者は沈黙する。この沈黙は非常に長く続き、重大な意味を持っていた。沈黙ののち、突然ひらめいたように患者がこう言ったのである――「毎日お昼に、私がここ〔=クリスの分析オフィス〕を出てから、昼食前、そして自分のオフィスに帰る前に、私はX通り(小さいが魅力的なレストランがいくつかあることで知られる通り)を歩くのですが、そこで色々な窓にかけられたメニューを見ます。その中の一つのレストランに入ると、私の好きな料理――生の脳みそ――があるのです。」 クリスはこのような反応に非常に満足した。


クリスはこのように症例を描写した後、彼のいう二つの解釈(深層/表面)をこの症例に当てはめる。

  1. 最初の分析では、口唇的攻撃性と仕事における制止の結びつきが認識された。
  2. クリスとの分析では、制止行動のメカニズム(機制)が明らかにされた。この二番目の解釈は、最初の分析を補完するものである。

ここでクリスが目指しているのは、「エスの内容ではなく防衛機制を明らかにすることを主な目的とした記述」(p.24)である。クリスはまた「もっとも強力な解釈の武器は、当然ながら、この防衛と分析における患者の抵抗とのあいだの繋がりである」(p.24)と言っている。


(つづく)

*1:アンナ・フロイト『自我と防衛』