à la lettre

ラカン派精神分析・精神病理学に関するいろいろ

エルンスト・クリスの症例とラカンのアクティング・アウト論(1)

何回かに分けて、クリスの「自我心理学と精神分析療法における解釈」と、それに対する「幻想の論理」のセミネールでのラカンの反論(1967/3/8)までを読んでいきます。

エルンスト・クリスの「表面[surface]の分析」

ラカンの精神分析理論は、当時主流となっていた自我心理学に対抗して書かれた。このことはよく知られている。ラカンは、自我心理学者のなかでも、ハルトマン、クリス、レーヴェンシュタイン*1の三人を徹底的に攻撃する。
その三人の中の一人、エルンスト・クリスは1900年生まれの精神分析家であり、最初は美術史の研究をしていたが、フロイトと知り合い、精神分析家を目指すようになった。日本では『芸術家伝説』『芸術の精神分析的研究』などの病跡学的著作で主に知られているが、アンナ・フロイト以後の自我心理学の潮流を作り上げた、臨床と理論の両面において重要な精神分析家である。
そのクリスの1951年の論文「自我心理学と精神分析療法における解釈」*2は、深層(エス)ではなく表面(防衛機制)を中心にした分析理論と分析技法を紹介し、なおかつ「脳みそを食べる男」として知られる症例を報告した論文である。

クリスはこの論文の冒頭で、フロイトの理論と技法の発展が自我心理学を生み出したことが「必然」であったことを強調している。
いわく、フロイトが「自我とエス」で論じた無意識の罪責感、陰性治療反応、自責の念、自罰傾向などは、超自我の特徴的な性質を明らかにしており、「性格神経症」として知られる概念は、抵抗と防衛という無意識の性質から明らかにされる(p.15)。このような立場からフロイトの立場の変遷を整理するならば、「自我心理学の原則はフロイト技法論に先取りされている。」(p.16)『ヒステリー研究』にはじまるフロイトの無意識の探求は、「自我とエス」にいたって、エス―自我―超自我の三つの審級の力動論にとってかわり、それは技法における自由連想法の導入と並行しておこった、とクリスは主張している。
フロイトの変遷についてのクリスの主張を、以下に表にしておく。

  第一局所論のフロイト 第二局所論のフロイト
理論 意識―無意識 エス―自我―超自我
技法 集中法 自由連想法
クリスの整理 深層の分析
エス分析
表面の分析
自我分析、抵抗の分析

クリスは、無意識の探求、つまりエスの探求を「深層の分析」と呼ぶ。そして、自我心理学の基礎技法となる自我の分析を「表面の分析」と呼ぶのである。

フロイト技法論は、その2、3年後に自我心理学の用語で公式化した暗示によって先取りされている。分析は表面から始めるべきであり、内容を解釈する前に抵抗が分析されなければならないというフロイトの教えは、自我心理学の基礎的原則を含意している。(Kris, p.16、強調は筆者)

クリスがこのように深層と表面を区別し、表面の分析を賞賛するのは、フロイトの「自我とエス」に依っている。

これまでの病理学的な研究においては、抑圧されたものだけに注目しすぎてきた。しかし自我が本来の意味での無意識的なものでありうるということが明らかになって以来というもの、自我についてさらに探求する必要性が感じられるようになってきた。これまでの探求における唯一の指針は、意識されているか無意識かという区別であった。しかしついに、この区別がいかに曖昧なものであるかが、明らかになったのである。(……)
〔あるものを意識化するとはどのようなことだろうかという問題〕を考察すべき出発点はすでに明らかである。意識とは、心的装置の<表面>であることはすでに指摘した。われわれは、空間的にみて外界にもっとも近い場所にあるシステムに、意識の機能を割り当てたのである。空間的にとは、機能の面からだけではなく、解剖学的な意味においてでもある。われわれの探求は、この<知覚する表面>を出発点としなければならない
フロイト「自我とエス」、『自我論集』p.213、SE19-p.19、強調は筆者)

このように自我を重視する見方は、アンナ・フロイトの『自我と防衛』につながっていき、理論だけでなく、技法上の変更をももたらしたことをクリスは指摘している(p.17)。そして、この技法上の変更は、「抵抗」を扱うことについての理解と改善をもたらした(p.18)。

抵抗を解釈するにあたって、私たちはその存在について言及し、その原因を決定するだけでなく、その操作方法をも探求する。抵抗の操作方法は、自我の防衛行動の一部としての同類の行動の文脈で理解される。抵抗はもはや分析の障害ではなく、探求されるべき「心的表面」の一部なのである。抵抗という言葉は、患者が反対し、それに腹を立てた医師に患者が「抵抗」するという不愉快な含みを失う。これは分析の「傾向」として表現できるかもしれない変化の表明である。
(Kris, pp.18-19、強調は筆者)

ここでクリスはフロイトの「分析における構成の仕事」を参照している。フロイトはこの論文で「患者の反応によって、解釈の正当性が明らかになる」と言っているが、これはここでクリスが「抵抗」という言葉に与えた意味に非常に近い。クリスはフロイトとともに、分析家と患者の共同作業を強調し、専制君主のように解釈を押し付けることに警鐘を鳴らしている。


(つづく)

*1:いわゆる、自我心理学三人組。レーヴェンシュタインはラカンの教育分析家でもあった。

*2:Kris, E. (1951). Ego Psychology and Interpretation in Psychoanalytic Therapy. Psychoanal Q., 20:15-30.