神経性食思不振症[anorexie mentale, anorexia nervosa]とは、いわゆる拒食症のことである。この疾患の一般的概念については、Wikipediaなど参照のこと。
『エクリ』
E600-601「治療の指導」
エルンスト・クリスの「脳みそを食べる男」症例*1についてのコメント。ここで登場するメリッタ・シュミーデベルグ*2はメラニー・クラインの娘であり、この患者の以前の主治医でもある。
ここでラカンはクリスに呼びかけている――いわく、クリスはこの患者を強迫症者として治療していたが、この患者は食物のファンタスムを話すことで、クリスに助け舟を出していた。
E600では、この患者は「何も盗んでいない」のではなく「無を盗んでいる[c'est qu'il vole rien]」(強調はラカン)ということが強調されている。
これは、『対象関係』のセミネールで述べられているように、神経性食思不振症における「何も食べない」→「無を食べている」と同型の発言であり、このことを主治医であるクリスに伝えるために、この患者は食物のファンタスムをクリスに話した、ということであろう。
E628「治療の指導」
<他者>の持っていないものを与える=愛、という文脈で、
しかし、子供はいつもこのように存在のふところ[sein]のなかで眠っているわけではない――特に、もし<他者>が、子供の欲求についての独自の考えを持ち、〔子供に〕干渉し、<他者>が持っていないもの〔すなわち、愛〕の代りに、<他者>が持っている息の詰まるようなお粥〔=ベビーフード〕を〔子供に〕過度に食べさせるなら、すなわち、<他者>の提供する世話と<他者>の愛の贈与を〔<他者>が〕混同するならば――子供はいつもこのように存在のふところのなかで眠っているわけではない。食べ物を拒否し、自分の拒否を欲望のように利用するのは、もっとも愛され、もっとも食事を与えられた子供なのである(神経性食思不振症)
ラカン流の神経性食思不振症の「病因論」とも取れる。
S4『対象関係』
S4-Jb196/Fr346
食べないのではなく無を食べている
S4-Ja237-240/Fr184-187
無を食べる おかげで子どもは母親を自身に依存させることができる
抑鬱ポジションでの無力感 あの全能に対して主体が行使できる唯一のもの=行為の水準での否
S5『無意識の形成物』
S5-Jb373/Fr499
最初の依存関係は、愛の喪失によって脅かされている。乳を吸うようになってすぐに裂け目を作り始めることがありうる。食物をとるのを拒むことによって、母に愛の証しを要請する。これは非常に早期の神経性食思不振症の発現となる。*3
S11『精神分析の四基本概念』
S11-J136/Fr96
無を食べている 無は対象a
S11-J287/Fr195
己自身の喪失を他者に差し出す
その他
ジャック=アラン・ミレールによると、神経性食思不振症は欲動のgoalとaimとの区別から整理できる。*4
いわく、食べることは単に口唇欲動の表明であるだけではない。その欲動の対象、つまりgoalは食べ物であるが、aimは享楽である。このaimはどのような食べ物でも満足されえない。そのため、神経性食思不振症は死にいたる水準まで何も食べない、つまり「無を食べる」という、口唇欲動の究極形である。
*1:Kris, E. (1951). Ego Psychology and Interpretation in Psychoanalytic Therapy. Psychoanal Q., 20:15-30.
この症例に対するラカンの評価は時代によってさまざまに変化している。この評価の移り変わりと、この症例についてのアクティング・アウトとしての側面についての考察は、フィリップ・ジュリアン『ラカン、フロイトへの回帰』pp.83-93に詳しい。
*2:Schmidberg, M.(1934), Intellektuelle Hemmung und Ess-storung", Zeitschrift fur psa. Padagogik. VIII.1934.
英訳は"Intellectual Inhibition and Disturbances in Eating," IJP XIX(1938):17-22.
*3:ここで訳者らはanorexie mentaleを「精神的な食思不振」と訳している。
*4:Miller, J.A., Context and Concepts in Reading Seminar XI., p.15