à la lettre

ラカン派精神分析・精神病理学に関するいろいろ

「ねずみ男」についてのインデックス

※セミネール邦訳分まで作成


1953年の論文「神経症者の個人的神話[Le Mythe individuel du nevrose ou poesie et verite dans la nevrose]」には、ねずみ男の分析と、「父の名」についての言及が見られる。このテクストはここ(Word文書)ここ(HTML文書)で見られる。また、英訳はLacan, J.(1979). The Neurotic's Individual Myth. Psychoanal Q., 48:405-425である。

『エクリ』

E290-292「ローマ講演」

象徴的解釈とドラ、ねずみ男、狼男
ねずみ男が『日常生活の精神病理学』を読んでいたこと

E301「ローマ講演」

ねずみ男の愛する女性の名前のアナグラム、S

E302-303「ローマ講演」

ねずみ男の神経症の起源、結婚相手についての母親の提案
死んだ父による禁止の解釈
主体を死んだ父と理想の女性との両方に結びつける致死的象徴
象徴的負債を主体化すること

E353-355「治療のヴァリアント」

ねずみ男の母親が彼の妻の選択が計算された仕方になるよう支配したという事実によって、主体に怒りが生じたとフロイトの理解したときに、大きな転換が起こっている。
これにより、過去にあった彼の愛する女性(ギゼラ)に対する禁止が呼びおこされる。この禁止は父が死んでいるにもかかわらず、父のパロールと結びついている。「パロールの連鎖」
父の結婚における負債
この連鎖が彼の強迫神経症のすべてではないが、この神経症者の個人的神話のテキストにおいて、死んだ父の影と理想の女性がナルシシスティックな像の結合がおこる幻想の網の目と交配されている。
パロールが主体の存在を、象徴的受け入れによって構成しているだけでなく、誕生に先立って、主体の地位ならびに生物学的存在としての誕生までもパロールが(婚姻の法則に従って)決定している。

E433-434「フロイト的もの」

象徴的負債
象徴的連鎖の壊れにおいて、超自我の意味である残忍で卑猥な姿が想像界からあらわれる
抵抗の分析批判

E596-598「治療の指導」

転移の操作としての徹底操作、自我の強化についての批判
フロイトのねずみ男に対するアプローチを批判する向きもあるが、フロイトはねずみ男を現実*1における位置へ位置づけることから始めた。

E891「主体の隠喩」

隠喩のラディカルな性質
ねずみ男は強迫神経症になる前に、父親にぶたれたとき「お前なんかランプだ、ハンカチだ、お皿だ……」と叫んだ。

S1『フロイト技法論』

S1-Jb205/Fr315

生が一つの待期になってしまっている強迫症者
ねずみ男の弁証法を昨年(1953年)主人と奴隷の弁証法として説明した
この強迫症者は主人の死を待っている いつか主人が死ぬときにすべてが始まるであろう

S2『自我』

S2-Ja192/Fr142

ベルンフェルドは匿名性のヴェールの背後に隠れていたフロイト自身のある幼児記憶を見出し、それを『夢解釈』の夢に結びつけている
このことは「ねずみ男」についての注釈で話した

S2-Jb161-162/Fr312

フェアバーンによると、主体の心理の内部にはエス、自我、超自我よりはるかに多くの人物がいる
主体が主人を前にして、自らを消して我慢すればするほど、そこにもう一人の主人がいることになる
「彼の欲望の対象もまた同じように、私が『ねずみ男』を注釈したり、『詩と真実』に似た私の経験に基づいて説明したように、自動的な二重化を被ります」
エゴの二重化、splitting

S5『無意識の形成物』

S5-Jb222/Fr399

フロイトの、ヒステリーと強迫神経症の違いに関する発見
ヒステリーの始原的外傷は受動的、誘惑だが、強迫のそれは能動的、快感である
ねずみ男症例での展開
情愛の両価性、能動―受動、男性的―女性的、憎―愛の対立
「ねずみ男」を聖書のように読み返す必要がある 強迫についてまだいわれるべきあらゆることを豊かに含んでいる

S5-Jb330/Fr471

ねずみ男の父親に対する疳積「お前なんかナプキンだ、お前なんかお皿だ」
<他者>の本質的な「お前Toi」と、対象(無生物、交換、等価性の対象)と呼ばれるような人間世界へとシニフィアンを引き込む失墜の効果との、真の衝突と共謀[collision et collusion]
重要なのは、父がランプや皿やナプキンであるかどうかではなく、<他者>を対象の列まで下ろして破壊すること

S5-Jb370/Fr497

命令[commandement]の水準
フロイトの「ねずみ男」についてのノート
強迫的な内容は、彼が受け取る命令であった
命令についての精神病と強迫症の差異

S5-Jb379/Fr503

フロイトは、鼠男であれ狼男であれ、キリスト教のもとで育った強迫症者と出会うたびに、彼らのたどる変遷及び彼らが持っているエコノミーの両面において、キリスト教が持つ重要性を十分に明らかにしてきました」

*1:※ここでの「現実」はreelとなっているが、前後の文脈から現実性realiteとも考えられるか? 詳しい方教えてください。