à la lettre

ラカン派精神分析・精神病理学に関するいろいろ

「ファルスの意味作用」のためのノート

掲示板「エクリを読む」で進行中の「ファルスの意味作用」の読解のための個人的なメモを公開します。
随時更新。

何が問題となっているのか

「父とは何か」という難問
  1. 母親がある子供の母親であるということは(直接産むため)疑いの余地がないが、父親がある子供の父親であるということには根拠がない。懐妊は「精霊との遭遇」として捉えられていた。(S5-Ja265-266)
  2. フロイト「エディプスコンプレックスの消失」(S5-Ja249)
  3. 愛情対象を母から父へ換えることについて、「父性隠喩」で解決する(S5-Ja253-257)
  4. この方向転換によって、〔母への、父への〕愛であったものが〔《父》への象徴的〕同一化、すなわち自我理想になる(S5-Jb68-69)
  5. 実際の父がいなかった場合でもエディプスは形成される。実存論的次元の父とは違う父が問題である。(S5-Ja244-246)
女性のセクシャリティの問題
  1. フロイトの「女性の性愛について」は「男性だけでなく女性においてもファルスが中心にある」不十分で推敲されるべき主徴をしている。主体が一定の位置を占め、そして父になることができるようにする弁証法に導きいれられるには、ファルスの根本的切除が必要である。闘争、生物学的な競争関係といった言い方で、男性が去勢コンプレックスを通じて男性の資格を獲得すると理解できるが、女性ではパラドクスとなる。(S5-Jb38)
  2. フロイトの論:女児は男児と同じく、最初は母を欲望する。欲望する仕方は一つしかない。女児ははじめ、自分がファルスを持っていると思っており、同様に母もまたファルスを持っていると思っている。つまり、女児は母親に対して、男性的体勢においてあらわれてくる。女児が自分の女性的体勢を承認するためには、男児の場合よりも複雑な何かが介入しなければならない。何によっても支えられてないし、承認は初めから失敗するものと規定されている。
  3. ジョーンズのこれについての反論:授乳の口=腟口の等式。フロイトのような迂回路は認めない。迂回路はラカンのいう「父性隠喩」に対応すると思われる。
  4. ただ一つのリビドーしか存在しない、そしてそれは男性のしるしを刻印されている。シニフィアンの特権(E736)
  5. 両性の非対称性フロイトは強調している。それは「解剖学的な性差の心的な帰結」「女性の性愛について」「エディプス・コンプレックスの消滅」で研究された。この非対称の理由は本質的に象徴的な次元にあり、シニフィアンに由来する(S3-Jb30)
「ファルス期」という難問
  1. 幼児の性器体制は男性の性器だけが重要だ:性器ではなくファルス(男根)優位の体制(フロイト「幼児の性器体制」, p.205)
  2. 去勢コンプレックスの意味はそれがファルス優位の体制で生じたことを考慮にいれないと正しく評価できない(ibid., p.207)
  3. 腟感の問題、ホーナイ、クライン、ジョーンズ(ラプランシュ=ポンタリス, pp.313-314)
  4. フロイトの「終りある分析と終りなき分析」で去勢とペニス羨望が還元不可能であると指摘されている(S5-Jb106)
  5. 何人たりとも免れることの出来ない去勢コンプレックスとペニス羨望(E627、ヘルマン・ラング『言語と無意識』,p.205)
  6. 「男女両性におけるファルスの想像的機能の等価性をフロイトが主張していること(これは「生物学的」な、つまり自然主義的なめくら窓の愛好者たちにとって長い間絶望の種になっている)、主体が自分自身の性別を引き受ける正常な段階とされる去勢コンプレックス、個人史全体を通じてエディプス・コンプレックスがもたらす構成的〈=恒常的〉な影響によって必然的なものとなる父殺しの神話、『last but not...[最後に述べるが〈決して軽んじてはならないものとして〉]』、単一のものとしてつねに再発見される対象の反復的な審級そのものによって愛情生活にもたらされる二分割の効果。さらには、フロイトにおける欲動概念の根本的に異端的な性格、つまり、傾向の原則をその方向とその対象へと分離することを思い出してもらわねばならないだろうか」(E543)
  7. 「『Maedchen=Phallus[少女=ファルス]』なる象徴的同等性、あるいは英語では『Girl=Phallus』の等式は、フェニケル氏(*)に、やや混乱気味ではあるが賞賛すべき試論のテーマを与えたわけだが、氏が表現するように、想像的な道筋の幾つかに根ざしており、子の欲望が母の存在欠如へと同一化することになるのもこの道筋を通じてである。もちろん母自身は、かつて子の欲望へと象徴的な法によって導入されしものであり、この欠如が構成されるのも法によってなのである。」(E565)

登場人物

アーネスト・ジョーンズ
  1. 女性における男根期の問題が、1927〜1935年の間に猛威をふるった(E727)
  2. この論争の歴史

1927「女性のセクシュアリティの初期の発達」
1931 フロイトが「女性の性愛について」においてジョーンズの論文を軽蔑的な調子で退ける
1932「男根期」フロイトの批判に答える。フロイトに近いところに立とうとしながら、フロイトに逆らう
1935「初期の女性のセクシュアリティ」当時のウィーンの協会の副会長をしていたフェダーンの求めに応じて発表した。クライン派の流儀によって書かれる。
(S5-Jb39-54)

  1. ジョーンズによる聖書の引用。女性は生まれたのか作られたのか(E729)
  2. ジョーンズの三つの論文はクラインへの加担。これによってローマ講演まで象徴体系に関する議論が打ち止めになった。(「アーネスト・ジョーンズの思い出に」の原注10)
  3. ファルスが象徴する喪失は、将来の子供で回復する(E729-730)
  4. フロイトは、女性にペニスとの関係を想定=「フロイトの逆説的な立場」
  5. ジョーンズは、フロイトの手紙(女性における性交の最初の観念は、オーラル・セックスである)から、フロイトの結論(ペニスを持ちたいという女の子の望みが挫かれたとき、その望みは子供を持ちたいという望みに取りかえられる)とはまったく反対の、クラインの結論(ペニス=子供という等式はより生来のinnateものであり、子供を持ちたいという女の子の望みは、ペニスへの他体愛的な欲望と直接に連続している)をとった。
  1. ジョーンズが倒錯と恐怖症の対象がファルスであるという。第一、第二の男根期(E703)
  2. ジョーンズが倒錯と恐怖症をペニス羨望から説明している誤り。自我の分裂。対象関係論はこれを錯覚して良い/悪い対象を作る罠にかかる(E732)
  3. 自我の分裂ではなく、《私》の分裂、すなわち主体の分裂であるとラカンは主張している。要するに、対象関係論はフロイトの論文を「自我の分裂」と考え、それを対象の分裂(良い/悪い)と考えたが、ラカンはそこに主体の分裂を見た、ということか(cf.E842)
  4. 倒錯と恐怖症の結びつき(S5-Ja338) これにはRene Tostainによる症例がある。また、「対象関係」のセミネールで、恐怖症患者の一過性の性倒錯があつかわれている(S4-Ja108)
  5. ジョーンズの象徴体系の理論と、追従者としてのチャールズ・ライクロフト。一次過程と二次過程の結びつきを論じなければ意味がない(S5-Ja313)
  6. ちなみに、チャールズ・ライクロフトは「精神分析学辞典」序文で、Triebを本能instinctと訳すことを推奨し、欲動とすることはまったく意味がない、と言っている方
  1. ジョーンズの失敗は、フロイトが軸となる一つのシニフィアンを措定しているということを理解できていないこと。ジョーンズは男児の発達においてファルスの存在を信じることが重要だというが、そのために同性愛の例を引いている。ファルスはもっと一般的な現象(S5-Ja351)
  2. アファニシス、聖書の引用(S5-Jb98, E729)
  3. ジョーンズの「女性性欲の初期発達」において精神分析に導入された。ジョーンズにおいて、アファニシスの恐怖は、少年少女の双方において去勢コンプレックスより深層に存する(シェリダンによる訳注)
  4. ジョーンズのいう「アファニシス」とは、去勢不安よりも根源的な恐怖を引き起こすものであり、それは「享楽する能力と機会が完全に、永遠に失われること」である。それをジョーンズは「すべての欲望を失ってしまうことへの恐れ」と定義した。「欲望とその解釈」のセミネールで、ラカンはジョーンズのいう「すべての欲望を失ってしまうことへの恐れ」は、アファニシスではなく去勢のためであり、去勢の中で機能しているシニフィアンの作動だと指摘した。その後、『精神分析の四基本概念』において、主体が疎外と分離を被る動きを説明して「アファニシス」に触れている。 ジョーンズはアファニシスという重大な概念を発見したが、そこにファルスのシニフィアンを見つけることができなかった(シェママ『精神分析事典』「アファニシス」の項,pp.9-10)
  1. ジョーンズの象徴体系の理論に関する批判:象徴は具体的なものの<観念>ではない(E723)
  2. ラカンの象徴的思考=科学的思考、数学。結び目=シニフィアンが主体のなかに引き起こす分裂(E723-724)
カレン・ホーナイ
  1. ホーナイ「女性における去勢コンプレックスの起源について」の賞賛。去勢コンプレックスと女性同性愛の連続性の発見。女性における去勢の観念をめぐる問題と、主体が分析において表明する自分に欠けている何か(=ファルス)に対する権利要求とのアナロジーを見つけた。これはホーナイの独創ではなく、フロイトのテクストのなかにすでにあるものだが、ホーナイはそれを女性同性愛の症例をもとに臨床的に基礎づけた。(S5-Jb66-68)
  2. ホーナイの「イデオロギー的な心因論」に対する批判(E689) ホーナイは「精神的特徴の生物学的起源」とくに「前性器段階」の役割に意義を唱えており、リビドーや欲望といった要素よりもある種の社会的規範のほうが、精神的なありかたを規定するものとして重要だと考えていた。
  3. この批判はセミネールではわずか数行。「彼女は精神分析が占める人類学的な位置に関して、いまではいささか価値の低下した結論を引き出したこともありました」(S5-Jb66)
ヘレーネ・ドイチュ
  1. 女性の性器関係における弁証法(S5-Jb75-80)
メラニー・クライン
  1. クラインの著作は意図せずにある重大なことを言っている。すなわち、悪い対象が形成される段階、つまり母の身体がその全体性において出現する妄想―抑うつ態勢より以前において、子供の初期の対象関係の発達において支配的な役割を果たしているのは母の身体の内部である。その母の身体の内部には、さまざまな悪い対象が含まれていて、あらゆる競争相手(兄弟、姉妹の身体)の他に、まさしく父が、彼のペニスという形で存在している。ラカンとクラインの違いは、ラカンが象徴的なものに重点を置くのに対して、クラインの分析はプレエディパルな鏡像段階=想像的関係のみである、と特徴づけられると思われるが、セミネールのこの部分は、クラインのように想像界の平面をさかのぼればさかのぼるほど、象徴界の起源である父性的な第3項の出現が早期に起こっているということを、クライン自身が意図せずに指摘しまっている、ということか(S5-Ja240-241/Fr164-165)
  2. 〔クラインの〕分析は母への原初的な関係を非常に強調したので、弁証法を避けた。そして鏡像的な関係に行き着いた。クラインはフロイトの欲望の弁証法を無視した(S5-Jb35-36)
  3. クラインは死の欲動を原初的な攻撃欲動とみたが、実際には主体を母に結びつけている紐帯のなかにある。また、母自身の要求でもある(S5-Jb377)
  4. クラインの空想、攻撃的想像関係の批判(S5-Ja317)
  5. 原初的で始原的な対象たる母性的対象と子との最初の関係からすでに、象徴化がある。音素を二つ対立させるようになったときから、四項が出現する(S5-Ja326)
  6. 子供は対象を位置づけるのではなく、まず自分自身を位置づける。子供と母親との関係しか考えないのであれば、いかなる種類の弁証法も不可能(S5-Ja328)
カール・アブラハム
  1. 部分対象の概念の創始者として(E687)
  2. ファルスの理解者として(S4-Ja248)

超越論的シニフィアンとしてのファルス

  1. 精神分析の目的は、意識の通貨、無意識の通貨を発見すること(フロイト「精神現象の二原則に関する定式」)
  2. 私を私の欲望から隔てているある余白の、ある一般的な象徴が要請されなければならない。シニフィエはつねに表明され、変質させられ、的外れに表明されるようなものとして指し示される(S5-Jb37-38)
  3. 欲望を動的に構造化する黄金数としてのファルス(E693)
  4. 「人間たちがシニフィアンの世界にかかわる限り、彼らの欲望が通らなければならない隘路をなしているのはシニフィアンです。このことによって、この往還はつねに、欲望におけるシニフィアンの影響の共通因数[le facteur commun]、欲望を意味するもの、欲望を必然的に表明された[signifie]欲望にするものの共通因数を含んでいます――この共通因数、それがまさしくファルスです。ファルスは、つねにその一部となっています。それは、この共通因数の最小公分母[le plus petit commun denominateur de ce facteur commun]です。まさにこうした理由から、男性の場合であれ女性の場合であれ、我々はあらゆる症例のなかに、いつもそれを見出します。だからこそ我々は、このxの点に、ファルス、小文字のφを置くのです」(S5-Jb73-74/Fr297)
  5. 〔ファルスは〕倒錯の、神経症の、そしてさらに、ほかならぬ、主体の発達のあらゆる弁証法における軸であり中心(S5-Ja339)
  6. シニフィエ一般のシニフィアン、それがファルス。ファルスは、シニフィアンシニフィエの関係における最終的なシニフィアン(S5-Ja352)
  7. 貨幣論シニフィアン(E707)
  8. 猫はワンワン、犬はニャオー(E708)
  9. ファルスは主体がシニフィアンのばらばらにされた状態からこうむる喪失自体のシニフィアン。これにより対象が象徴的な弁証法への従属関係に引きずり込まれる。注(25)イタリアの詩の表題?fink注によるとCharles Borde"Parapilla"(1776)(E715)
その他、欲望という観点から
  1. 欲望は、存在欠如の換喩(E623)
  2. どのような欲望も、ファルス的な参照項を持っている(S5-Jb38)
  3. 換喩的でないような対象は存在しない(対象=換喩(部分と全体の一致)→対象a?)(S5-Ja9)
  4. 隠喩的でないような意味は存在しない(S5-Ja9)
  5. シニフィアンの導入によって、対象が「換喩的対象」となる(S5-Ja338)
Wo Es war
  1. 主体は<父の名>というシニフィアンの欠如を補填しなければならない(S5-Ja215/Fr147)
  2. 外部とは<他者>の欲望が位置づけられ主体がそれに出会いにいくところ(S5-Jb35-36)
  3. 「ランガージュと去勢コンプレックスに固有のドラマとに徴しづけられた人間存在(……)ここで表明されるのは、「私はファルスだ」ではなく、反対に「私はシニフィアン的分節化においてファルスが占めている場所にいる」というものです。これが「エスがあったところ、そこに<私>が生じるのでなければならないWo Es war, soll Ich werden」の意味の全すべてです」(S5-Jb352-353) 「ランガージュと去勢コンプレックスに固有のドラマとに徴しづけられた人間存在」というのは、alienationとseparationの区別の先取りと読める。
欲求、要求、欲望
  1. 要求の二重化。愛の要求、絶対的な要求(S5-Jb373)
  2. 欲望=絶対的条件、要求=在と不在の無条件の要求(E629, S5-Jb224)
  3. 欲望におけるau-delaとen-deca(E691、E629にも同様の表現あり)
  4. 要求と「要求を表明する」の違い。フロイトの夢「肉屋の女房」の話(cf.E620)。要求は<他者>を含意している。「要求の表明」は欲望が要求に入り込んだことによる(S5-Jb32)
依存性
  1. 母との排他的な関係は純粋な依存ではない(S5-Ja332, S5-Jb372)
主体の分裂(Spaltung)
  1. 防衛過程における自我の分裂、自我の構造と、主体が直面するテーマ。倒錯的承認の弁証法(S5-Ja345)
  2. alienationとseparationとの関係(E842)
  3. その他、(S4-Ja251)
欲望のグラフと臨床
  1. メッセージとコードの分離としてのシュレーバー論(S5-Ja225,299)
  2. 症状はグラフのs(A)(S5-Jb322)
  3. ヒステリーの回路、強迫の回路(S5-Jb327-)
  4. 強迫症は他者の欲望の否定に基づく(S5-Jb349)
  5. 幻覚とは、シニフィアンの水準で構造化された現象(S5-Ja324)