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à la lettre

ラカン派精神分析・精神病理学に関するいろいろ

トマス・J・シェフ『狂気の烙印――精神病の社会学』#3

Thomas J. Scheff : Being Mentally Ill: A Sociological Theory(1966)
ASIN:B000J8I85M

第3章 どのようにして「患者」は作りだされるのか(前)

*サズの理論

精神病は神話である(Szasz, T.S. "The Myth of Mental Illness",邦訳『精神医学の神話』)

「われわれには「治療」によって闘ったり、悪魔祓いしたり、追放したりできる敵などいない。われわれが実際にもっているのは生活上の問題――生物学的であれ、経済的であれ、政治的であれ、社会心理的であれ――なのだ。……私の議論は精神病が一つの神話でありその機能は人間関係のなかの道義的葛藤という苦い丸薬を偽装させ、そうすることによって口あたりをよくすることにあるという命題に限定されている」(ibid.)

精神病の行動は「偽装」である
ヒステリー、分裂病その他の精神障害を「偽装すること(impersonation)」をとらえる。
自分を病人であると偽装している人びとの本当の問題は「生活上の問題」である。(ibid.)
⇒ 「役割演技モデル」

*シェフの役割演技モデル

ここでの議論は、サズと同じ役割演技モデルだが、非自発的側面をもっと強調したものである。

「「家族のなかで赤ん坊扱いされている人」はこの役割を不愉快なものであると思うようになるかもしれない。しかし彼につきつけられる手がかりと行為の一様なパターンは彼自身の反応の語彙によって彼を閉じこめるため、期待されている役割を演じないことは彼にとって不便であり困難なのである」(p.57)

*役割演技の自発性?

その行為者は自分の演じている役割をどの程度まで信じているか?
全く信念なく冷笑的に演じられる 〜 心底からの信念を持って真剣に演じられる、まで多彩なスペクトルを持つだろうが、多くの役割は信と不信の複雑な混合を土台として演じられている。
彼らが役割を演じているのか、役割が彼らを演じているのかを知るのは、彼ら自身にとっても困難な場合がある。
非自発的行為と症状のふりをすることの区別は精神医学者にとっても難しい。
例:Ganser症候群、以前の精神状態を模倣している患者(Sadow. L. and Suslick, A. "Simulation of a Previous Mental State")


cf.レマートの「二次的逸脱」

「ある人間が、〔異常行動の〕結果として生じる社会的反作用によって生み出された潜在的問題および顕在的問題に対する防衛、反撃もしくは適応の一つの手段として逸脱的行為ないしは逸脱行動に基づく役割を使用し始める時、彼の逸脱は二次的である」(Lemert, op.cit. p.76)=防衛機制の対向、疾病利得

また、経験した事が無い役割でも、その役割を演じることができる。

Ganser症候群*1の「でまかせ応答(Vorbeireden)」

「2+2は?」――「5」
(ハサミを見せて)「これは何?」――「二本のナイフ」
(10セント硬貨を見せて)「これは何?」――「50セント」
などと、失見当識を障害していても、質問を完全に理解している。なぜなら答えが間違っていても、問題に関連しているからである。


分裂病には意思的活動と非意思的活動のあいだの境界線地帯に位置する行動の広い領域があるのではないか。
精神病者は、自分自身に逸脱者というレッテルをあてはめ、二次的逸脱を適応の一手段として用いるのではないか。

役割イメージの学習と維持

<命題4>

「ステレオタイプ化した精神障害のイメージは幼年期の初期に学習される。この領域においては実証的研究は全くないけれど、散在している観察にしたがって筆者は子どもたちが非常に早くからかなりの量の逸脱のイメージを学習するものであり、そのイメージの大部分が大人からよりもむしろその仲間たちに由来するものであると結論したい気になる。きわめて多様な文脈のなかで現在用いられている一つの用語である「狂った」ということばの文字通りの意味は、多分小学校の一年の間に把握されているのだろう」(p.64)

<命題5>

「狂気のステレオタイプは、日常的な社会的相互作用のなかで、気づかないうちに絶えず再確認される。多くの大人たちは精神病の医学的概念を知るようになるけれども、伝統的なステレオタイプは放棄されず医学的諸概念と共存し続けるのだ」(p.68)

マスメディアと精神病

伝統的なステレオタイプが放棄されない原因は、マスメディアにある。
ナナリーによる研究:テレビ・ラジオ・新聞・雑誌の系統的で大規模な内容分析のなかで提示されている精神病のイメージが圧倒的にステレオタイプ化されていることを示す(Nunnally, J.C.Jr, Popular Conception of Mental Health)
・精神病の10個の情報要因についての専門家、公衆、マスメディアの比較(p.70スキャン)
・精神病をあつかっているテレビ番組の数

マスメディアが作る精神病の偏見

暴力犯罪(あるいはあらゆる犯罪)の発生率は一般の人びとのなかでよりも元精神病患者のあいだでの方が低いのにもかかわらず、精神病には「危険である」「何をするか予測できない」などと否定的評価がなされていることを、新聞報道を引用して説明している(pp.71-72)

「新聞は精神病と暴力のあいだに一つの不可避的な関係をうちたててしまっている。おそらく同じように重要なのはこの関係はまた精神障害の不治性を意味していることである。すなわちそれは元精神病患者を粗暴で予測不可能な行為に結び付けている」」(p.73)

慣用的な言い回しのなかに含まれる精神病の偏見

例:「狂ったように走る」「君は正気かい」

「頻繁に用いられる「狂った」という用語は、いつもというわけではないけれども、しばしば微妙なからかいかあるいは烙印を含んでいる。これらの用語を用いている人物がこのことを伝えようとしていないときでもやはりこうした意味合いはそこにあるのだ」(p.76)

「このような意図せざる偶発的なイメージは、民族や人種のステレオタイプに含まれているイメージに似ている”Jew a man down”(値切る)という言い回しを用いる話し手は必ずしもユダヤ人に対して偏見を持っていないかもしれない ……しかし、他の人びとにとっては一定の前提がなされていることに疑いの余地はない――つまりたくらみをもっていて、金だけが目的で、金に対して過大な関心をもつ人間としてのユダヤ人のイメージである」(p.76)

    ↑ジジェクみたいですね

精神病についての公衆のステレオタイプは変化しにくい

それらが現在の社会秩序にとって機能的であり、社会の全成員の心理構造に統合されやすい。

「精神障害の概念はわれわれの社会では対照のための概念として役立っており、現在の慣習を保持するために機能している。そのような便利な概念の置きかえはおそらくこの理由で抵抗を受けている。 ……合衆国においては平均的な市民は狂気の概念――……あるいは精神病の概念――に対する変化に抵抗する。なぜならこれらの概念は彼の習慣的な道徳的・認知的世界を維持するために機能している」(p.80)

前半まとめ

社会のすべての成員は、日常生活のなかで意図せずに「狂気」や「精神病」のイメージを伝えられ代理的に学習している。このイメージはそれぞれの言語と文化の卑俗な言い回しに結び付けられる傾向があり、このような連合が文化によって精神障害の症状に違いが出ることの理由であるかもしれない。
このように考えると、最初は無定形で構造化されていない残基的ルール違反の持続と帰結が決定されるには、社会的反作用の質が重要となる。

*1:※拘禁状態などで生じる、偽性痴呆